プロフェッショナルとアマチュア [文化]
音楽におけるアマチュアとプロフェッショナルについて
昨今報道をにぎわしていたアマチュアスポーツ界の様々な不祥事をご記憶の事と思います。全てのスポーツは、学校体育を発展させた、アマチュアリズムから、スタートしました。児童、生徒、学生たちの健全で、健康な体力を培うために、「体育・スポーツ」は、教育の場に取り入れられてきました。最も古いスポーツのプロは「大相撲」と考えます。次にプロ野球が発足しました。しかし、発足当時はまだまだ「東京六大学野球」や「甲子園高等学校野球選手権(旧制中学から発足)」の方が一般的には人気があったと言われています。サッカーは大学・社会人のアマチュアから「Jリーグ」が組織され、プロの世界的な大会の「ワールドカップ大会」に参加できるレベルにまで発展してきたのは記憶に新しいことです。しかし、多くの日本人は、プロフェッショナルよりも、アマチュアの方が尊いと考える?あるいは好きな?国民性があるように思えます。これは、オリンピックを例に挙げると分かりやすいです。昨今の不祥事はプロフェッショナルの世界では考え難い出来事です。プロのスポーツ界では、選手も監督もコーチも経営も、全て、プロで構成されています。もちろん、彼らも元々はアマチュアだったわけですが、自己研鑽を積み、経験や競争を重ねてそれぞれの世界で、経済的にも自立し、成り立って行けるプロになって行ったわけです。一方、日本に於ける、音楽の世界も、同じような現象が現れています。それが顕著なのは、「合唱」の世界です。日本ほど、小・中・高・大・社会人・地域(ママさんコーラス等?)で、合唱が盛んな国はありません。もちろん、皆アマチュアです。指導者は、プロ(音大出身者、音楽教員等)が、携わる場合がある一方、大学時代合唱部に所属していたとかの経験者も多数います。アマチュアが、アマチュアを指導しているわけです。欧米での合唱は、95%くらいは、キリスト教に関連した教会に所属した合唱団です。稀に大都市の大きな教会の合唱団でプロの声楽家がメンバーに入っている場合があります。彼らにとって合唱は「神との対話」ですから、コンペティションはありえません。多くの団体が集っての合唱祭は多数催されていますが、競争するマターとは考えていません。現在日本のショービジネスの世界(歌謡曲・Jポップ・ロック等?)ではアメリカから導入されたエンタテイメントのノーハウが取り入れられ大小の芸能プロダクショが凌ぎを削っています。アマチュアの子女を金の取れるタレント(あるいは集団?)に仕立て上げる技はたいしたものです。これも、私見ですが、日本人のアマチュア好きに由来していると感じます。多くの日本人は、研ぎ澄まされ訓練を積んだプロ達より、より身近なアマチュアが好きです。クラシック音楽好きなアマチュア音楽家達はもっとプロの音楽家を敬愛し、プロを目指す若い人であれば、彼らを育てる懐の深さを発揮していただきたい。邦楽の世界では、「旦那衆」と言われる会社社長や商店の店主などが、プロのお師匠さんに、稽古に通うことで、プロの人々を援助している伝統があります。アマチュアはあくまで、「旦那芸」に徹しています。欧米では、プロフェッショナルとアマチュアは日本よりずっと明確です。音楽好きな人々は自分で音楽を楽しむ(楽器を弾いたり合唱に加わったり)事もしますが、同時に、音楽会や、オペラに出かける事も楽しみにしています。今、日本中の多数の福祉施設で行われている「出前コンサート」で「オヤジバンド」などアマチュア音楽家達が活動していると聞きます。彼らは、交通費と言えども絶対に授受してはならない。すべてボランティアすべきです。何故なら、彼らはアマチュアなのですから。
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アマチュアとプロフェッショナル [文化]
昨年、報道をにぎわしていたアマチュアスポーツ界の様々な不祥事をご記憶の方も、多いと思います。
全てのスポーツは、明治以降、学校体育を発展させた、アマチュアリズムから、スタートしました。児童、生徒、学生たちの健全で、健康な体力を培うために、「体育・スポーツ」は、教育の場に取り入れられてきました。
一方、日本で、最も古いプロスポーツは「大相撲」と考えます。次にプロ野球が発足しました。しかし、発足当時はまだまだ「東京六大学野球」や「甲子園高等学校野球選手権(旧制中学から発足)」の方が一般的には人気があったと言われています。
サッカーは大学・社会人のアマチュアから「Jリーグ」が組織され、プロの世界的な大会の「ワールドカップ大会」に参加できるレベルにまで発展してきたのは記憶に新しいことです。
しかし、多くの日本人は、プロフェッショナルよりも、アマチュアの方が尊いと考える?あるいは好きな?国民性があるように思えます。これは、オリンピックを例に挙げると分かりやすいです。一昔前まで、オリンピックはアマチュアスポーツの祭典でした。日本人は、オリンピックが大好きです。アメリカなどでは、オリンピックを日本のように、国を挙げて応援したり、楽しんだりしません。
一方、日本に於ける、音楽の世界も、同じような現象が現れています。それが顕著なのは、「合唱」の世界です。日本ほど、小・中・高・大・社会人・地域(ママさんコーラス等?)で、合唱が盛んな国はありません。もちろん、皆アマチュアです。指導者は、プロ(音大出身者、音楽教員等)が、携わる場合がある一方、大学時代合唱部に所属していたとかの経験者も多数います。アマチュアが、アマチュアを指導しているわけです。
欧米での合唱は、95%くらいは、キリスト教に関連した教会に所属した合唱団です。稀に大都市の大きな教会の合唱団でプロの声楽家がメンバーに入っている場合があります。彼らにとって合唱は「神との対話」ですから、コンペティションはありえません。多くの団体が集っての合唱祭は多数催されていますが、競争するマターとは考えていません。
現在日本のショービジネスの世界(歌謡曲・Jポップ・ロック等?)ではアメリカから導入されたエンタテイメントのノーハウが取り入れられ大小の芸能プロダクショが凌ぎを削っています。アマチュアの子女を金の取れるタレント(あるいは集団?)に仕立て上げる技はたいしたものです。私見ですが、これも、日本人のアマチュア好きに由来していると感じます。多くの日本人は、研ぎ澄まされ訓練を積んだプロ達より、より身近なアマチュアが好きです。
邦楽の世界では、「旦那衆」と言われる会社社長や商店の店主などが、プロのお師匠さんに、稽古に通うことで、プロの人々を援助している伝統があります。アマチュアはあくまで、「旦那芸」に徹しています。
究極の「旦那芸」(邦楽におけるアマチュア芸の究極とも言えます)は、「河東節」と呼ばれる、浄瑠璃の一種です。江戸時代から、市川團十郎家(成田屋)が演じる「助六由縁江戸桜」(通称助六)で、この「河東節」が伴奏音楽で舞台に上がります。特に「唄」を担当するのは、ほとんど、アマチュアの「旦那衆」で、1ヶ月の舞台に華を添えます。このために、数年前くらいから、稽古を積み、本番に備えるそうです。プロを支えるアマチュア芸来年、現海老蔵が、13代市川團十郎襲名します。もちろん、歌舞伎十八番の「助六」も上演される予定です。「河東節」ご連中の「旦那衆」(現在は、女性の方々もいるようです)も張り切っていることでしょう!
クラシック音楽好きなアマチュア音楽家達はもっとプロの音楽家を敬愛し、プロを目指す若い人であれば、彼らを育てる懐の深さを発揮していただきたいです。
欧米では、プロフェッショナルとアマチュアは日本よりずっと明確です。音楽好きな人々は自分で音楽を楽しむ(楽器を弾いたり合唱に加わったり)事もしますが、同時に、音楽会や、オペラに出かける事も楽しみにしています。今、日本中の多数の福祉施設で行われている「出前コンサート」で「オヤジバンド」などアマチュア音楽家達が活動していると聞きます。彼らは、交通費と言えども絶対に授受してはならない。すべてボランティアすべきです。何故なら、彼らはアマチュアなのですから。Kiki
この一文は、昨年9月に、月刊誌「せれね」に掲載されたものを、手直しして、このブログに載せました。