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プロフェッショナルとアマチュア [文化]

m_E.jpgブログをしばらく、ご無沙汰している間に、コロナパニックが起こり、世界中大混乱の日々です。ここに来て、少し、感染者の数が減少したとは言え、コロナウイルスがいなくなったわけではなく、しばらく、緊張が続きます。このパニックの最中、アメリカをはじめ、多くのミュージシャンが、ITを駆使して、多くの人々への励ましの音楽やメッセージを無料配信しています。 これを真似て、日本の、多くの(主にポピュラー系)歌手たちが、歌やメッセージを配信してしています。しかしながら、これを比べた時、欧米と日本のミュージシャンのあまりの格差が歴然としていて、改めて、やはり、日本は、「アマチュア大好き!」な国民性なのだと、思いました。名実共に、現在のポピュラー界の女王のレディーガガの「Smile]のキーボード弾き歌いの見事だったこと!彼女が提唱して、配信された、多くのミュージシャンによる、歌や演奏は総て、「プロフェッショナル」な人々によるものでした。それにくらべ、日本の、様々な分野で、テレビやネットを通じて、「応援!」と称して、配信されてくるエンターテイメントの稚拙なことと言ったら、目を覆うばかりです。

筆者が、2年前に、月刊誌「せれね」に掲載した「音楽におけるアマチュアとプロフェッショナル」の一文を、改めて、このブログに掲載します。


音楽におけるアマチュアとプロフェッショナルについて

昨今報道をにぎわしていたアマチュアスポーツ界の様々な不祥事をご記憶の事と思います。全てのスポーツは、学校体育を発展させた、アマチュアリズムから、スタートしました。児童、生徒、学生たちの健全で、健康な体力を培うために、「体育・スポーツ」は、教育の場に取り入れられてきました。最も古いスポーツのプロは「大相撲」と考えます。次にプロ野球が発足しました。しかし、発足当時はまだまだ「東京六大学野球」や「甲子園高等学校野球選手権(旧制中学から発足)」の方が一般的には人気があったと言われています。サッカーは大学・社会人のアマチュアから「Jリーグ」が組織され、プロの世界的な大会の「ワールドカップ大会」に参加できるレベルにまで発展してきたのは記憶に新しいことです。しかし、多くの日本人は、プロフェッショナルよりも、アマチュアの方が尊いと考える?あるいは好きな?国民性があるように思えます。これは、オリンピックを例に挙げると分かりやすいです。昨今の不祥事はプロフェッショナルの世界では考え難い出来事です。プロのスポーツ界では、選手も監督もコーチも経営も、全て、プロで構成されています。もちろん、彼らも元々はアマチュアだったわけですが、自己研鑽を積み、経験や競争を重ねてそれぞれの世界で、経済的にも自立し、成り立って行けるプロになって行ったわけです。一方、日本に於ける、音楽の世界も、同じような現象が現れています。それが顕著なのは、「合唱」の世界です。日本ほど、小・中・高・大・社会人・地域(ママさんコーラス等?)で、合唱が盛んな国はありません。もちろん、皆アマチュアです。指導者は、プロ(音大出身者、音楽教員等)が、携わる場合がある一方、大学時代合唱部に所属していたとかの経験者も多数います。アマチュアが、アマチュアを指導しているわけです。欧米での合唱は、95%くらいは、キリスト教に関連した教会に所属した合唱団です。稀に大都市の大きな教会の合唱団でプロの声楽家がメンバーに入っている場合があります。彼らにとって合唱は「神との対話」ですから、コンペティションはありえません。多くの団体が集っての合唱祭は多数催されていますが、競争するマターとは考えていません。現在日本のショービジネスの世界(歌謡曲・Jポップ・ロック等?)ではアメリカから導入されたエンタテイメントのノーハウが取り入れられ大小の芸能プロダクショが凌ぎを削っています。アマチュアの子女を金の取れるタレント(あるいは集団?)に仕立て上げる技はたいしたものです。これも、私見ですが、日本人のアマチュア好きに由来していると感じます。多くの日本人は、研ぎ澄まされ訓練を積んだプロ達より、より身近なアマチュアが好きです。クラシック音楽好きなアマチュア音楽家達はもっとプロの音楽家を敬愛し、プロを目指す若い人であれば、彼らを育てる懐の深さを発揮していただきたい。邦楽の世界では、「旦那衆」と言われる会社社長や商店の店主などが、プロのお師匠さんに、稽古に通うことで、プロの人々を援助している伝統があります。アマチュアはあくまで、「旦那芸」に徹しています。欧米では、プロフェッショナルとアマチュアは日本よりずっと明確です。音楽好きな人々は自分で音楽を楽しむ(楽器を弾いたり合唱に加わったり)事もしますが、同時に、音楽会や、オペラに出かける事も楽しみにしています。今、日本中の多数の福祉施設で行われている「出前コンサート」で「オヤジバンド」などアマチュア音楽家達が活動していると聞きます。彼らは、交通費と言えども絶対に授受してはならない。すべてボランティアすべきです。何故なら、彼らはアマチュアなのですから。



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ニューイアーオペラコンサート [オペラ]

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毎年1月3日に開催される、恒例のNHKニューイヤーオペラコンサート、今年は、昨年までと、全く

お趣を異にした、プログラムでした。イタリアの若きマエストロ、バッティストーニ氏を指揮者に迎え、

イタリアオペラを中心にした、プログラムで進行されました。今年特に感じられたのは、歌手と演目(オペラの役やアリア)に、ミスマッチがほとんで無かったことです。私の想像では指揮者のバッティストーニ氏の意向が、強く反映されたのでは?と思います。そして、歌い手たちの衣装も、多分ほとんど

自前の衣装ではなかったかと思われます。昨年の無残な、「モーツァルトファンタジー」と称した、モーツァルトのオペラの数々、NHKお仕着せの醜い衣装や、めちゃくちゃな、歌手への割り振り、(声と役のミスマッチは酷かった)からすると、ズッとマシでした。

今年は多分、選ばれた歌手たちが、まず、自分の歌いたい曲を提出し、マエストロが、吟味してOKを出したのでは?と思われるプログラムでした。

但し、プログラム全体は、支離滅裂で、何の一貫性もテーマも無く、GALAコンサートだったとしても、

もう少し、コンサート全体のポリシーや目標を明確にすべきと思われます。

ハープのメストレ氏のコーナーも、このオペラコンサートの中で取り入れるには、無理がありました。ハープは素晴らしい楽器ですが、音の色や音量が、あまりにも、オペラと違い過ぎます。会場で聞いたわけではありませんが、ヴェルディや、プッチーニのオペラの後で、ハープの音は、あまりに

小さ過ぎます。メストレ氏が気の毒でした。5~6年前、ザルツブルグ音楽祭で、ソプラノのディアナ・

ダムラーとメストレのハープの伴奏による、ドイツ歌曲とフランス歌曲のコンサートは忘れられません!もしハープだけの伴奏で歌うのであれば、最大でも、800名くらいのリサイタルホールで行われるのがハープにも声にも相応しいはずです。

しかし、ともかく、昨年までの、「どうして、この歌手がこの歌を歌うの??」と言う疑問は、今年は少しだけ解消されました。

それにしても、国際的に活躍している、(オリンピックで言えば、金メダリスト)の歌手がいないのは

残念です。Kiki

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トスカ [オペラ]

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11月9日、日生劇場で上演された、オペラ「トスカ」を見てきました.

公益財団法人ニッセイ文化振興財だが主催する、オペラ公演で、毎回5~6回催されます。この内、2回は、一般公開、その他は、高校中学生向けの公演です。彼等に、本格的オペラを、素晴らしい劇場で鑑賞してもらい、総合芸術である、オペラを、青少年に体験してもらおうとの意図から創められた事業と聞いています。東京の日比谷公園をのぞむ、日生劇場と言う、公共の会館とは違う、ゴージャスで、素晴らしい劇場で、単なる学校行事で行われる「芸術鑑賞会」とは一味異なる、経験を中・高校生は味あうことになるのです

今回は、「ニッセイオペラ」では、初めて取り上げる「トスカ」でした。プッチーニは、様々な国の女性を

題材に、オペラを書いています。「蝶々夫人」は日本の長崎、「トゥーランドット」は中国の北京、「ラ・ボエーム」はフランスのパリ、「西部の娘」はアメリカのウエスタン等、それぞれの国や都市で生きる女性を個性豊かに力強く音楽と声で表現する作品です。そして、「トスカ」はイタリアのローマの女性です。題材は、フィクションですが、登場人物の、トスカ、カバラドッシ、スカルピア、アンジェロッティには、それぞれモデルがいると言われています。そして、舞台が繰り広げられる、場所も、総て、現在もローマの中心地に存在する、歴史的建造物です。

第1幕の教会は、「サンタ・アンドレア・デッレ。ヴァッレ」。2幕は、その教会から歩いて数分の「ファルネーゼ宮殿」(ここは、現在フランス大使館になっています。残念ながら、一般公開されていません)。

そして第3幕は、テベレ側沿って建つ、「サンタンジェロ城」です。ローマにいらしたら、是非、このトスカの舞台巡りをお勧めします。サンピエトロ寺院も、サンタンジェロ城の近くです。

トスカの音楽は、プッチーニが、充分にエネルギーがあった時代に書かれています。従って、大変ドラマティックで、音楽だけでも、充分血沸き、肉躍ります。

先日の公演で、以前のグログでも紹介したテノールの「工藤和真さん」がカバラドッシ役に抜擢され

出演しました。有名なアリアが、ありますが、それよりも、多くのオペラ「トスカ」ファンは、2幕で、カバラドッシが支持しているナポレオン軍が、ローマで勝利した知らせが、スカルピアにもたらせられた時

叫ぶ「Vittoria!Vittoria!...]を待っています。伝説によると、イタリアのある劇場で、この部分で拍手が止まず、アンコールが行われたと言われいます。今回も素晴らしい[Vittoria]でした。

この声だけで、総ての聴衆を魅了したと思います。これからも、どんどん進化してくれることを願っています。  Kiki

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ジェシー・ノーマン [音楽]

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アメリカ人の黒人のソプラノ歌手、ジェシー・ノーマンが、先月9月30日に亡くなりました。74歳でした。

150KGは越すと思われる巨体から生まれる、彼女の声は、他の誰とも競べることが出来ない、独特な色でした。加えて、彼女の音楽は非常に洗練されていて、黒人霊歌でさえ、崇高と言える印象を

聞き手に与えました。オペラへの出演は、限られましたが、彼女のリサイタルは、彼女の音楽と声

とを、充分に吟味して整えられたものでした。特に、かつて、フランスの名バリトンの、ピエール・ベルナックの薫陶を受けた、「フランス近代歌曲」、デュパルクやプーランクは、彼女の演奏によって、新しい魅力を聞き手に与えてくれました。

私にとっての、大きな思い出があります。2011年12月、世界的な歌曲伴奏ピアニストである、ダルトン・ボールドウイン氏の80歳の記念コンサートがニューヨークで開かれました。私もダルトン先生のお誘いもあり、コンサートで歌わせていただきました。このコンサートに、ジェシーも駆けつけました。

そして、アカペラで黒人霊歌を、ダルトン先生の伴奏でプーランクの「愛の小径」Chemin  de  l'amour  を歌いました。偉大なソプラノ歌手が歌うと言うより、まるで、天から(神様から?)のお使

いが、地上の人々へのメッセージを届けにきたのでは?と思わせる、貴く、素晴らしい演奏でした。

May her  soul  rest  in  peace!!    Kiki

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イタリアの人間国宝 レオ・ヌッチ [オペラ]

Opera_ButaiAisatu2nin.jpg左レオ・ヌッチ(2016年ミラノスカラ座)

イタリアのバリトン歌手、レオ・ヌッチは1942年生まれで、今年77歳になる、現役のオペラ歌手です。

彼を生で初めて聴いたのは、1981年,ミラノスカラ座の初の日本公演の、「セヴィリアの理髪師」のフィガロ役でした。この公演は、指揮クラウディオ・アバド、フィガロ レオ・ヌッチ、 アルマヴィーヴァ伯爵 フランシスコ・アライサ、ロジーナ ルチア ヴァレンティーニ・テラーニ、バジリオ フルッチョ・フルラネット 他、最高のメンバーで、私が、何度か生で、あるいは、録音等で聞いたセヴィリアの中の最高でした。なんと言っても、マエストロ アバドの究極のテンポ感と、音楽の色彩の豊かさ、歌手たちを最高の演奏に導く、愛情溢れるリーダーシップは格別でした。 その時ヌッチは、39歳でした。

セヴィラのフィガロに続いて、彼の得意とするオペラは「リゴレット」です。3年前、すでに、74歳になっていたヌッチが、ヴィットリオ・グリゴーロのマントヴァ公爵で、スカラでのリゴレットも聞くことができました。本当に素晴らしいリゴレットでした。

そして、今年9月現在、スカラ座付属のオペラアカデミーの生徒たちによる、「リゴレット」がスカラ座で

9回上演されています。なんと、リゴレット役は、9回全回、ヌッチが歌います。指揮は、ダニエル・オ

ーエンです。マントヴァ公爵・ジルダ・マッダレーナ・その他 の配役は、全員、アカデミアの生徒たちです。


日本では、「人間国宝」と呼ばれる、画家、彫刻家、陶芸家、歌舞伎俳優、邦楽演奏家、能楽その他

様々な芸術・工芸部門に携わる優れた人々に与えられる称号があります。「人間国宝」に選ばれた

方々は、勿論それぞれの分野での技量が優れていなければなりませんが、加えて、「後継者の育成」も重要な基準と聞いています。


バリトン レオ・ヌッチは、日本式に言えば、イタリアオペラ界の「人間国宝」ではないでしょうか?

その彼が、77歳でも現役でも歌い、それだけでも、称号に値するのに、今回のアカデミアの生徒たち

を、自らが舞台に立つことで、「国劇」イタリアオペラの真髄を後輩たちに伝えようとしている情熱に

感激しています。


叶うことなら、ミラノに飛んでいき、ヌッチとアカデミアの生徒たちの「リゴレット」見たいです!


Buravo!  Maestro  Leo・Nucci


Kiki

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東京音楽コンクール [音楽]

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東京文化会館・東京都が主催する、「東京音楽コンクール・声楽部門」の第2次予選(8月18日)、と

オーケストラ伴奏による、本選(8月26日)を聞きました。

このコンクールは、2007年に第1回が催された、日本のクラシック音楽コンクールとしては、比較的新しいコンクールです。今年は、17回目を迎えました。

第2次予選(10名が選出されました)、15分のプログラム、本選(5名選出)は、オーケストラ伴奏による、20分のプログラム、と、とても内容が充実したコンクールですので、声楽の国内のコンクールとしては、非常に高いレベルが要求されています。コンクールでは、「選曲」がとても審査に影響します。自身の良さが充分に発揮できる曲目。また、コンペティションとして、他の応募者と比べられてしまう事も考慮しなければなりません。但し、多くのコンクールがそうであるように、応募時に、第1次予選から、本選までの選曲を提出しなければならず、変更はゆるされません。運不運も大きく作用します。

第2次予選の10名の若い歌い手たちの演奏は、どれも素晴らしく、力強く、感激しました。このまま、進化して行ってくれたら、日本の声楽・オペラ界も本当に明るいと思いました。

この中から、5名が、本選に進みました。オーケストラ伴奏による本選は、たとえば、オペラアリア3曲など、かなりプレッシャーがかかる本番でした。

2次予選の演奏と、本選での演奏では、やはり、キャリアの差のようなものを感じました。それと、こちらでも、「選曲」がとても大切!と痛感しました。

結果は、工藤和真さん(テノール)1位なし2位、井出壮志朗さん(バリトン)3位でした。なぜ、今回1位無しなのか?私には疑問が残りました。歴代の1位の声楽家をみても、納得が行きませんでした。

Kiki


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ゴットフリート・ワグナーII [オペラ]

tristan4-d9e9e.jpgトリスタンとイゾルデ イメージ

リヒャルト・ワグナーのひ孫にあたる、ゴットフリート・ワグナーについては、以前、このブログで取り上げました。毎年、8月は、日本では、広島・長崎の原爆の日や、15日の終戦記念日もあり、第2次世界大戦のことを思い起こす月でもあります。日本と同じ、敗戦国ドイツ生まれ(1947年)のゴットフリート・ワグナーには、同じ年代と言うこと、音楽の巨匠・ワグナーのひ孫と言うこともあり、とても、興味深く、ある意味、親近感も持っています。

R.ワグナーの作品だけを上演する「バイロイト音楽祭」は、現在も世界中のワグネリアンの聖地として多くの信者?が毎年巡礼?し続けています。[I]でも申し上げたように、R.ワグナーの総ての作品

はそれこそ「世界遺産」でもあるわけです。たとえば、「トリスタンとイゾルデ」の音楽に、身を委ねた時の恍惚感は、イタリアオペラの音体感とは、全く異なるものです。人間の奥深いところにある、精神と肉体とが、入り混じった「官能」を、音楽が、表現しています。R.ワグナーの才能に感謝です。

しかし、一方、R.ワグナーが「反ユダヤ主義」であったことに端を発し、ヒットラーとナチスドイツが

彼等の「反ユダヤ主義」のプロパガンダとして、R.ワグナーの作品を利用した事実。また「バイロイト音楽祭」を仕切る、その後のワグナー一族の、「ホロコースト」等への反省のかけらも無い、戦後の

振る舞いを知る人は少ないと思います。


ワグナー家の一員である、ゴットフリート・ワグナーは、使命として、この贖罪に取り組みました。注目すべき活動として、彼は、「イスラエルにおけるワグナーと言うケース」と題して、ユダヤ人の国イスラエルで講演をしました。この講演で、ゴットフリートは、父ヴォルフガング、伯父ヴィーラントがイニシアティブを取る、「バイロイト音楽祭」についても、批判しました。

当然なところ、両親を初め、一族からは、猛反発を受けます。ゴットフリートは、青年期からオペラや、自身の博士論文でもある、「ブレヒト&クルト・ワイル」の舞台演出を手掛けるほど、舞台芸術の才能に溢れた人にも関わらず、現在もなお、「バイロイト音楽祭」への参加(観客としてさえ)は禁止されています。

ゴットフリートは、自身のルーツから、常に、自身のアイデンティティー(居場所・立ち位置?)について自問しています。自分の家族が、ヒットラーと組んで、ホロコースト等で行った、ユダヤ人大量虐殺に、間接的にせよ、関与した事実はあるわけです。終戦後も、「ワグナーの芸術」を「錦の御旗」に掲げ自身の両親はじめ、公的には、一言の反省も無しに、「バイロイト音楽祭」が続けられていることに

一族として、我慢がならないのです。このことについて、一石を投じる責任があるのは、一族である、

自分の使命だと、彼は考えています。

私自身、ヨーロッパに留学(音楽で)していた経験から、欧米人にとっての「ユダヤ人」の存在は、大変微妙な問題なのだ!との強い印象を持ちました(ある種、アンタッチャブルな事?)。私のまわりの、西欧人の何人かは「彼等は、私たちとは、別な人々だから」「彼等は、彼等自身が、他の人々とは違う人間と言う強い意識がある」との言葉を何度も聞きました。

白色系欧米人から見るユダヤ人への特別な思いは、シエクスピアの戯曲「ベニスの商人」に描かれている、人物像と、現在も何も変わっていない気がします。

それにしても、自身の「アイデンディティー」も揺るがしかねない、ゴットフリート・ワグナーの行動力に

私は大いなる敬意を表します。Kiki


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アマチュアとプロフェッショナル [文化]

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昨年、報道をにぎわしていたアマチュアスポーツ界の様々な不祥事をご記憶の方も、多いと思います。

全てのスポーツは、明治以降、学校体育を発展させた、アマチュアリズムから、スタートしました。児童、生徒、学生たちの健全で、健康な体力を培うために、「体育・スポーツ」は、教育の場に取り入れられてきました。

一方、日本で、最も古いプロスポーツは「大相撲」と考えます。次にプロ野球が発足しました。しかし、発足当時はまだまだ「東京六大学野球」や「甲子園高等学校野球選手権(旧制中学から発足)」の方が一般的には人気があったと言われています。

サッカーは大学・社会人のアマチュアから「Jリーグ」が組織され、プロの世界的な大会の「ワールドカップ大会」に参加できるレベルにまで発展してきたのは記憶に新しいことです。

しかし、多くの日本人は、プロフェッショナルよりも、アマチュアの方が尊いと考える?あるいは好きな?国民性があるように思えます。これは、オリンピックを例に挙げると分かりやすいです。一昔前まで、オリンピックはアマチュアスポーツの祭典でした。日本人は、オリンピックが大好きです。アメリカなどでは、オリンピックを日本のように、国を挙げて応援したり、楽しんだりしません。

一方、日本に於ける、音楽の世界も、同じような現象が現れています。それが顕著なのは、「合唱」の世界です。日本ほど、小・中・高・大・社会人・地域(ママさんコーラス等?)で、合唱が盛んな国はありません。もちろん、皆アマチュアです。指導者は、プロ(音大出身者、音楽教員等)が、携わる場合がある一方、大学時代合唱部に所属していたとかの経験者も多数います。アマチュアが、アマチュアを指導しているわけです。

欧米での合唱は、95%くらいは、キリスト教に関連した教会に所属した合唱団です。稀に大都市の大きな教会の合唱団でプロの声楽家がメンバーに入っている場合があります。彼らにとって合唱は「神との対話」ですから、コンペティションはありえません。多くの団体が集っての合唱祭は多数催されていますが、競争するマターとは考えていません。

現在日本のショービジネスの世界(歌謡曲・Jポップ・ロック等?)ではアメリカから導入されたエンタテイメントのノーハウが取り入れられ大小の芸能プロダクショが凌ぎを削っています。アマチュアの子女を金の取れるタレント(あるいは集団?)に仕立て上げる技はたいしたものです。私見ですが、これも、日本人のアマチュア好きに由来していると感じます。多くの日本人は、研ぎ澄まされ訓練を積んだプロ達より、より身近なアマチュアが好きです。

 

邦楽の世界では、「旦那衆」と言われる会社社長や商店の店主などが、プロのお師匠さんに、稽古に通うことで、プロの人々を援助している伝統があります。アマチュアはあくまで、「旦那芸」に徹しています。

究極の「旦那芸」(邦楽におけるアマチュア芸の究極とも言えます)は、「河東節」と呼ばれる、浄瑠璃の一種です。江戸時代から、市川團十郎家(成田屋)が演じる「助六由縁江戸桜」(通称助六)で、この「河東節」が伴奏音楽で舞台に上がります。特に「唄」を担当するのは、ほとんど、アマチュアの「旦那衆」で、1ヶ月の舞台に華を添えます。このために、数年前くらいから、稽古を積み、本番に備えるそうです。プロを支えるアマチュア芸

の真髄と言えましょう。

来年、現海老蔵が、13代市川團十郎襲名します。もちろん、歌舞伎十八番の「助六」も上演される予定です。「河東節」ご連中の「旦那衆」(現在は、女性の方々もいるようです)も張り切っていることでしょう!

 

クラシック音楽好きなアマチュア音楽家達はもっとプロの音楽家を敬愛し、プロを目指す若い人であれば、彼らを育てる懐の深さを発揮していただきたいです。

欧米では、プロフェッショナルとアマチュアは日本よりずっと明確です。音楽好きな人々は自分で音楽を楽しむ(楽器を弾いたり合唱に加わったり)事もしますが、同時に、音楽会や、オペラに出かける事も楽しみにしています。今、日本中の多数の福祉施設で行われている「出前コンサート」で「オヤジバンド」などアマチュア音楽家達が活動していると聞きます。彼らは、交通費と言えども絶対に授受してはならない。すべてボランティアすべきです。何故なら、彼らはアマチュアなのですから。Kiki

 

この一文は、昨年9月に、月刊誌「せれね」に掲載されたものを、手直しして、このブログに載せました。


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大野和士  10代のためのコンサート [音楽]

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素晴らしいコンサートに行ってきました。私のご贔屓の指揮者、大野和士さんの企画・指揮による

「10代のためのプレミアム・コンサート」です。

ソニー音楽財団主催で、来日している、バルセロナ交響楽団,大野和士さん指揮、数人のソリスト達と、東京シティーバレエ団が出演しました。

会場には、親子連れのお客様であふれ、私の隣は、パパと10歳くらいの娘さんの二人でした。

曲目は、「カルメン」前奏曲に始まり、Ravel作曲の「マ・メール・ロア」(マザーグース)の組曲の1~5までと、Falla作曲、バレー組曲「三角帽子」から、第2組曲と言う、一見、子供たちには難しい選曲?

と思われるものでした。

しかし、大野さんの親切で分かりやすい解説と、RavelもFallaにも、バレーが登場するという、サービスで、子どもたちにも、理解しやすい、また、充分楽しいコンサートとなりました。

加えて、特にスペインの民族舞踊のリズムをもとに、Fallaが作曲した「三角帽子」では、会場のすべてのお客様に、そのリズムを体感してもらう、手拍子、足拍子のレッスンもあり、本当になごやかな、

面白いコンサートとなりました。

クラシックの音楽会と言うと、白髪のお客が多くを占めているのが、現状ですが、この日ばかりは、とても若若しい、(でも、子どもたちもとても静かに聴いていました。)活気に満ちたものでした。

そして、会場一杯に広がる、オーケストラのそれぞれの楽器の音色と、得も言われぬ、ハーモニーが

渦巻き、将来、大人になった時、この音体験は、必ず子どもたちの脳にインプットされるに違いありません。

以前、ブログで紹介した「オペラ玉手箱」同様、大野和士さんの、「クラシック音楽やオペラの素晴らしさを、もっと多くの人に伝えたい!」と言う、切なる願いが詰まった、コンサートでした。Kiki


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王様と私 [ミュージカル]

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ミュージカル・「王様と私」は1951年、ニューヨークのブロードウェイで初演されました。1956年には、ユル・ブリナーとデボラ・カー主演で映画化されています。ユル・ブリナーは、ブロードウェイの初演の舞台で、「王様」の役を演じ、映画にも主演しました。その後のハリウッドでの活躍(荒野の七人等)は、良くご存知と思います。

その「王様」の役を、日本の俳優「渡辺 謙」が演じる、「王様と私」を見に行ってきました。このプロダクションは、ブロードウェイ(2015年)からロンドンウエストエンド(2018年)に移り上演され、今回の東京公演は、ロンドン版の引越し公演でした。

Annaを演じた、ケリー・オハラは、2015年ブロードウェイ時の舞台が、評価され、アメリカの舞台

の最も権威のある賞である、トニー賞のミュージカル部門の主演女優賞を獲得、渡辺 謙は、主演男優賞にノミネートされました。

以前、ブロードウエイで、「ウエストサイドストーリー」「サウンド オブ ミュージック」「オペラ座の怪人」、ロンドンで、「キャッツ」「オペラ座の怪人」を見た事があります。この時感心したのは、歌唱力の

レベルの高さでした。ソロや、アンサンブルで、主役級の俳優はもとより、脇役の俳優達も、「歌」の場面で、誰一人、下手な俳優はいませんでした。今回の「王様と私」でも、それを感じました。

ブロードウェイの場合、演目によって、「歌唱」を主とする役と、ダンスを主とする役の分業があると聞いています。もちろん、「歌」中心の役でも、軽いダンス程度は訓練されます。しかしながら、もともと

歌とダンスの呼吸法には大きな違いがありますし、息が上がった状態で、歌を美しくスムースに歌う

ことはできません。その点、ブロードウェイのプロデューサーや、ディレクター、音楽ディレクターは

熟知しています。

そして、今回も、もちろん、Annaのケリー・オハラは、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で、オペレッタ「こうもり」のロザリンデや、「メリーウイドー」のハンナを演じたことがあるほどの、歌い手です。彼女は、ミュージカルや、オペレッタで求められる、「セリフ→歌」への自然な声の移行が、とりわけ優れています。また、英語のセリフはもとより、歌詞の、ディクションの素晴らしさには感心しました。  オペラの場合は、時として、「声」を第1に重要とするあまり、ディクションが犠牲になる場合があります。一方ミュージカルは、何を話しているか?何を歌っているか?が、絶対に観客に伝わらなければなりません。

ブロードウェイで見た「サウンド オブ ミュージック」でも、トラップ大佐を演じた、リチャード・チェンバレン(私たちの年代では、アメリカテレビドラマ ドクター クルデイア の主役を務めた俳優として知られています)が、「セリフ→歌」への移行の素晴らしさ、英語のセリフ・歌詞の明瞭さに感激しました。

我等の「渡辺 謙」王様も、この、「セリフ→歌」への自然さ、セリフの明瞭さは、素晴らしかったです。

彼を取材した、テレビのドキュメンタリーでも、英語の発音・発声訓練、歌唱訓練の様子が見られました。大変な努力だったのでは?と想像します。

クラシック音楽中心で過ごして来て、ミュージカルを、「娯楽」として位置付けていましたが、今回の

「王様と私」では、オペラ、コンサートと同じような、興奮と感激がありました。

それにしても、日本のミュージカルは、まだまだ、追いついていないな?と思います。「日本語」と言う

ハンディもあるのかもしれませんが。Kiki


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