天才少年 [音楽]

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クラシックのプロの音楽家(主にソリスト)になるためには、早期英才教育が必須条件です。特に、巷で騒音に満ちている日本に於いてはです。音楽(クラシック音楽と限定して良いかもしれません)に、よほどの、理解とセンスのある家庭環境で無いと、プロの音楽家は育ちません。生まれた時から、センスの良い音楽に接することで、耳が養われます。ピアノや、弦楽器であれば、2~3歳くらいから、

プロの先生について、レッスンを始めなければなりません。日本人は、アマチュアが大好きな人種です。音楽でも研ぎ澄まされた、極限を求めるプロの演奏や、作品より、手軽な、身近な音楽が好まれます。これだけ、アマチュア合唱団が、乱立している国も珍しいです。その、アマチュアの中で、コンペティションが行われ、優劣が競われます。ナンセンスです。

しかし、このごろ、少しづつ、英才教育が大切と思う人々が増えて来ています。スポーツ、将棋、などが挙げられます。クラシック音楽も昔から、天才少年が存在しました。しかし、天才より、平凡な子どもが「良い子」とされる日本では、彼らが、素晴らしい芸術家に育って行くことが難しい国かもしれません。現在19歳になった、天才ピアニストと呼ばれていた、牛田智大君は、いっさい、テレビは見ないそうです。そうなのです、テレビからは、美しく、貴い、音楽はなかなか聞き取れません。Kiki


 



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危険な関係 [映画・小説]

危険な関係  [Les  Liaisons Dangereuses]  

 書簡形式で書かれた「危険な関係」は1782年にフランスの作家(軍人でもあった)ピエール・

ショデルロ・ド・ラクロによって発表された。この小説は以降の恋愛小説の手本のような位置付けで今日に及んでいる。1789年に勃発するフランス革命の気運がパリを中心として迫っている世情の中、貴族間の恋愛沙汰だけをテーマにしたこの小説は一般民衆からしたら、「けしからん!!」

と言うことになるが、手紙に託された男女の心理の推移が推理小説にも劣らないスルルングな世界を展開している。

特に、原語のフランス語の原作に眼を通すと、当時のフランス貴族社会の言葉使いや、身分や年齢による言語表現の違い等が解り、興味深い。

物語は、20歳で未亡人になった美貌のメルトゥイユ侯爵夫人、かって彼女の愛人でもあったプレイボーイのヴァルモン子爵、子爵の遠縁で修道院育ちの貞淑なツールヴェル法院長夫人の3人と彼らを取り巻く数人の人物の相互の書簡で進んで行く。メルトゥイユ侯爵夫人が自身の嫉妬とヴァルモン子爵への復讐心から、ツールヴェル法院長夫人を誘惑させ、破滅に追い込んでいき、最終的には、子爵は決闘で死に、法院長夫人は精神を病み死を迎え、罠を仕掛けた侯爵夫人はそれが多くの人々の知るところとなり非難を浴び、逃亡先で天然痘で醜く変わりはてた姿のまま命を落とすという結末である。

この物語は、第2次世界大戦終戦以降、映画や舞台劇として世界中で取り上げられている。

フランスでは2度、ハリウッドでは3度映画化されているが、特に注目したいのは、2003年韓国で作られた映画「スキャンダル」と2013年中国で制作された映画「危険な関係」である。

「スキャンダル」は時代の設定を原作と同じ1780年代の朝鮮王朝貴族社会に置き換え、主人公のチョ夫人、プレイボーイのチョ・ウォン、遠縁のチョン・ヒヨンの三人の性格は、原作に忠実に設定している。言葉やビジュアルな違いを越え、この三人の心理を見事に表現している事と、18世紀後期の朝鮮の建物、調度品、衣装の美しさ、また、ラクロの原作が書簡集であることを踏まえ、当時交わされた、ハングル文字と 漢字による毛筆の美しい手紙の数々も登場するなど、映画として素晴らしい作品になっている。

また、2013年に公開された中国映画の「危険な関係」は1931年の上海と設定している。

第二次世界大戦がこれから始まろうとする爛熟した町であった上海を舞台に繰り広げられる恋愛劇は映画として充分に面白い。また、原作の主役三人が、それぞれ、モー・ジュ夫人を香港の女優

セシリア・チャンが、上海一の大金持ちのプレイボーイ シェ・イーファンを韓国の俳優 チャン・ドンゴン(彼自身が、中国語で演じている)が、貞淑な遠縁の夫人 ドゥ・フェンユーを中国の人気女優 チャン・ツィイー が演じている。この3人が表現する心の機微は見事で、映画ならではの、クローズアップの技法も加わって心理劇としての面白さも充分である。この中国版で特筆したいことは、原作ではヴァルモン子爵の伯母として多くの手紙を書いているロズモンド夫人を、イーファンの祖母ドゥ・ルイシェ夫人と置き換えて登場させていることである。中国の名女優のリサ・ルーが演じるこの役が作品に、より一層の厚みを加えている。

18世紀末にフランス人によって書かれたこの文学作品が、200年以上の年月を越え、アジアの映像作品としてよみがえっている奇跡を、アジア人の一人として興味深く、また、嬉しく思う。Kiki

 


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アラン・ドロン 続き [映画]

m_E.jpg今から50年以上前、私は、2箇所のターミナル駅で乗り換えて、高校に通っていました。ある日、学校の帰りがけ、ターミナル駅にあるデパートにさしかかった時、「フランスの映画俳優

アラン・ドロン サイン会」 と言う看板が眼に留まりました。これまでに、彼の映画は、何本か観ていました。特に「太陽がいっぱい」は、高校生でしたが、大きな衝撃を受けた映画でした。家では、高校生が一人で、または、友人同士で「映画」を観ることは禁じられていましたが、母が映画好きで、たしか、この映画も母と一緒に観た覚えがあります。

生のアラン・ドロンに会える!との思いで、会場に赴き、列に並びました。比較的空いていたのが、意外でした。そして私の順番が来て、至近距離70cmくらいの距離で、彼を見ることができました。

後にも先にも、「世の中でこのように美しい男性がいるのだ!」と感じたのは、アラン・ドロン以外ありません。

比較的華奢で、日本人と比べると、小顔だった印象があります。そして、ブルーグリーンに少し灰色が入った瞳の色が今でも忘れられません。アラン・ドロン自身、彼が、最も美しかった旬の時だったと

思います。

サインを抱え、意気揚々と、帰宅のために、私鉄駅に行こうとしたとき、ポンポンと肩を叩く人がいました。スーツ姿の女性でした。制服姿の私に、「貴女、高校生でしょ?今日学校どうしたの?」 この日は、中間試験の日で、学校は午前中で終わりでした。彼女は、私服の女性警官でした。この事を説明すると、女性警察官は「気を付けてお帰りなさい!寄り道せずにね!」と言って、立ち去って行きました。

その後、アラン・ドロンの映像を見るたびに、このエピソードを思いだします。

ところで、あの貴重な「サイン入りプロマイド」何処へ行ってしまったかしら?Kiki

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