東京音楽コンクール [音楽]

Milan_Scara_BeoreConcert.jpg

東京文化会館・東京都が主催する、「東京音楽コンクール・声楽部門」の第2次予選(8月18日)、と

オーケストラ伴奏による、本選(8月26日)を聞きました。

このコンクールは、2007年に第1回が催された、日本のクラシック音楽コンクールとしては、比較的新しいコンクールです。今年は、17回目を迎えました。

第2次予選(10名が選出されました)、15分のプログラム、本選(5名選出)は、オーケストラ伴奏による、20分のプログラム、と、とても内容が充実したコンクールですので、声楽の国内のコンクールとしては、非常に高いレベルが要求されています。コンクールでは、「選曲」がとても審査に影響します。自身の良さが充分に発揮できる曲目。また、コンペティションとして、他の応募者と比べられてしまう事も考慮しなければなりません。但し、多くのコンクールがそうであるように、応募時に、第1次予選から、本選までの選曲を提出しなければならず、変更はゆるされません。運不運も大きく作用します。

第2次予選の10名の若い歌い手たちの演奏は、どれも素晴らしく、力強く、感激しました。このまま、進化して行ってくれたら、日本の声楽・オペラ界も本当に明るいと思いました。

この中から、5名が、本選に進みました。オーケストラ伴奏による本選は、たとえば、オペラアリア3曲など、かなりプレッシャーがかかる本番でした。

2次予選の演奏と、本選での演奏では、やはり、キャリアの差のようなものを感じました。それと、こちらでも、「選曲」がとても大切!と痛感しました。

結果は、工藤和真さん(テノール)1位なし2位、井出壮志朗さん(バリトン)3位でした。なぜ、今回1位無しなのか?私には疑問が残りました。歴代の1位の声楽家をみても、納得が行きませんでした。

Kiki


nice!(0)  コメント(0) 

ゴットフリート・ワグナーII [オペラ]

tristan4-d9e9e.jpgトリスタンとイゾルデ イメージ

リヒャルト・ワグナーのひ孫にあたる、ゴットフリート・ワグナーについては、以前、このブログで取り上げました。毎年、8月は、日本では、広島・長崎の原爆の日や、15日の終戦記念日もあり、第2次世界大戦のことを思い起こす月でもあります。日本と同じ、敗戦国ドイツ生まれ(1947年)のゴットフリート・ワグナーには、同じ年代と言うこと、音楽の巨匠・ワグナーのひ孫と言うこともあり、とても、興味深く、ある意味、親近感も持っています。

R.ワグナーの作品だけを上演する「バイロイト音楽祭」は、現在も世界中のワグネリアンの聖地として多くの信者?が毎年巡礼?し続けています。[I]でも申し上げたように、R.ワグナーの総ての作品

はそれこそ「世界遺産」でもあるわけです。たとえば、「トリスタンとイゾルデ」の音楽に、身を委ねた時の恍惚感は、イタリアオペラの音体感とは、全く異なるものです。人間の奥深いところにある、精神と肉体とが、入り混じった「官能」を、音楽が、表現しています。R.ワグナーの才能に感謝です。

しかし、一方、R.ワグナーが「反ユダヤ主義」であったことに端を発し、ヒットラーとナチスドイツが

彼等の「反ユダヤ主義」のプロパガンダとして、R.ワグナーの作品を利用した事実。また「バイロイト音楽祭」を仕切る、その後のワグナー一族の、「ホロコースト」等への反省のかけらも無い、戦後の

振る舞いを知る人は少ないと思います。


ワグナー家の一員である、ゴットフリート・ワグナーは、使命として、この贖罪に取り組みました。注目すべき活動として、彼は、「イスラエルにおけるワグナーと言うケース」と題して、ユダヤ人の国イスラエルで講演をしました。この講演で、ゴットフリートは、父ヴォルフガング、伯父ヴィーラントがイニシアティブを取る、「バイロイト音楽祭」についても、批判しました。

当然なところ、両親を初め、一族からは、猛反発を受けます。ゴットフリートは、青年期からオペラや、自身の博士論文でもある、「ブレヒト&クルト・ワイル」の舞台演出を手掛けるほど、舞台芸術の才能に溢れた人にも関わらず、現在もなお、「バイロイト音楽祭」への参加(観客としてさえ)は禁止されています。

ゴットフリートは、自身のルーツから、常に、自身のアイデンティティー(居場所・立ち位置?)について自問しています。自分の家族が、ヒットラーと組んで、ホロコースト等で行った、ユダヤ人大量虐殺に、間接的にせよ、関与した事実はあるわけです。終戦後も、「ワグナーの芸術」を「錦の御旗」に掲げ自身の両親はじめ、公的には、一言の反省も無しに、「バイロイト音楽祭」が続けられていることに

一族として、我慢がならないのです。このことについて、一石を投じる責任があるのは、一族である、

自分の使命だと、彼は考えています。

私自身、ヨーロッパに留学(音楽で)していた経験から、欧米人にとっての「ユダヤ人」の存在は、大変微妙な問題なのだ!との強い印象を持ちました(ある種、アンタッチャブルな事?)。私のまわりの、西欧人の何人かは「彼等は、私たちとは、別な人々だから」「彼等は、彼等自身が、他の人々とは違う人間と言う強い意識がある」との言葉を何度も聞きました。

白色系欧米人から見るユダヤ人への特別な思いは、シエクスピアの戯曲「ベニスの商人」に描かれている、人物像と、現在も何も変わっていない気がします。

それにしても、自身の「アイデンディティー」も揺るがしかねない、ゴットフリート・ワグナーの行動力に

私は大いなる敬意を表します。Kiki


nice!(0)  コメント(0) 

アマチュアとプロフェッショナル [文化]

bara.jpg

昨年、報道をにぎわしていたアマチュアスポーツ界の様々な不祥事をご記憶の方も、多いと思います。

全てのスポーツは、明治以降、学校体育を発展させた、アマチュアリズムから、スタートしました。児童、生徒、学生たちの健全で、健康な体力を培うために、「体育・スポーツ」は、教育の場に取り入れられてきました。

一方、日本で、最も古いプロスポーツは「大相撲」と考えます。次にプロ野球が発足しました。しかし、発足当時はまだまだ「東京六大学野球」や「甲子園高等学校野球選手権(旧制中学から発足)」の方が一般的には人気があったと言われています。

サッカーは大学・社会人のアマチュアから「Jリーグ」が組織され、プロの世界的な大会の「ワールドカップ大会」に参加できるレベルにまで発展してきたのは記憶に新しいことです。

しかし、多くの日本人は、プロフェッショナルよりも、アマチュアの方が尊いと考える?あるいは好きな?国民性があるように思えます。これは、オリンピックを例に挙げると分かりやすいです。一昔前まで、オリンピックはアマチュアスポーツの祭典でした。日本人は、オリンピックが大好きです。アメリカなどでは、オリンピックを日本のように、国を挙げて応援したり、楽しんだりしません。

一方、日本に於ける、音楽の世界も、同じような現象が現れています。それが顕著なのは、「合唱」の世界です。日本ほど、小・中・高・大・社会人・地域(ママさんコーラス等?)で、合唱が盛んな国はありません。もちろん、皆アマチュアです。指導者は、プロ(音大出身者、音楽教員等)が、携わる場合がある一方、大学時代合唱部に所属していたとかの経験者も多数います。アマチュアが、アマチュアを指導しているわけです。

欧米での合唱は、95%くらいは、キリスト教に関連した教会に所属した合唱団です。稀に大都市の大きな教会の合唱団でプロの声楽家がメンバーに入っている場合があります。彼らにとって合唱は「神との対話」ですから、コンペティションはありえません。多くの団体が集っての合唱祭は多数催されていますが、競争するマターとは考えていません。

現在日本のショービジネスの世界(歌謡曲・Jポップ・ロック等?)ではアメリカから導入されたエンタテイメントのノーハウが取り入れられ大小の芸能プロダクショが凌ぎを削っています。アマチュアの子女を金の取れるタレント(あるいは集団?)に仕立て上げる技はたいしたものです。私見ですが、これも、日本人のアマチュア好きに由来していると感じます。多くの日本人は、研ぎ澄まされ訓練を積んだプロ達より、より身近なアマチュアが好きです。

 

邦楽の世界では、「旦那衆」と言われる会社社長や商店の店主などが、プロのお師匠さんに、稽古に通うことで、プロの人々を援助している伝統があります。アマチュアはあくまで、「旦那芸」に徹しています。

究極の「旦那芸」(邦楽におけるアマチュア芸の究極とも言えます)は、「河東節」と呼ばれる、浄瑠璃の一種です。江戸時代から、市川團十郎家(成田屋)が演じる「助六由縁江戸桜」(通称助六)で、この「河東節」が伴奏音楽で舞台に上がります。特に「唄」を担当するのは、ほとんど、アマチュアの「旦那衆」で、1ヶ月の舞台に華を添えます。このために、数年前くらいから、稽古を積み、本番に備えるそうです。プロを支えるアマチュア芸

の真髄と言えましょう。

来年、現海老蔵が、13代市川團十郎襲名します。もちろん、歌舞伎十八番の「助六」も上演される予定です。「河東節」ご連中の「旦那衆」(現在は、女性の方々もいるようです)も張り切っていることでしょう!

 

クラシック音楽好きなアマチュア音楽家達はもっとプロの音楽家を敬愛し、プロを目指す若い人であれば、彼らを育てる懐の深さを発揮していただきたいです。

欧米では、プロフェッショナルとアマチュアは日本よりずっと明確です。音楽好きな人々は自分で音楽を楽しむ(楽器を弾いたり合唱に加わったり)事もしますが、同時に、音楽会や、オペラに出かける事も楽しみにしています。今、日本中の多数の福祉施設で行われている「出前コンサート」で「オヤジバンド」などアマチュア音楽家達が活動していると聞きます。彼らは、交通費と言えども絶対に授受してはならない。すべてボランティアすべきです。何故なら、彼らはアマチュアなのですから。Kiki

 

この一文は、昨年9月に、月刊誌「せれね」に掲載されたものを、手直しして、このブログに載せました。


nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。