海老蔵の勧進帳 [歌舞伎]

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毎年、5月、歌舞伎座での「團菊祭」を、楽しみにしています。「團菊祭」は、昭和11年、九代目市川團十 郎と五代目尾上菊五郎の没後33回忌をきっかけに、この二人の名優を顕彰して始められたそうですに。

九代目團十郎は、歌舞伎や、歌舞伎役者の社会的な地位向上に尽力した人物と言われています。市川家に伝承されている、「歌舞伎十八番」を積極的に演じる事に加え、彼自身が、「新歌舞伎十八番」(人気狂言の鏡獅子等)を制定しました。また、九代目團十郎は、型が重要だった歌舞伎に、その役の人間性、精神性を投入したと言われています。これは、鎖国していた日本に。明治になり、新しい演劇も西洋から輸入されてきた影響とも言われています。

また、五代目菊五郎は、能狂言に題材を取った、「茨木」「素襖落し」などに歌舞伎音楽を加えた「新古演十種」を世にだしました。この名優二人が同時代に活躍したこともその後の歌舞伎にとって、幸運だったと思います。

戦争中や、戦後の危機を乗り越えて、「歌舞伎」は博物館に入ることなく、多くの日本人に支持され、現在もなお、人気を保っています。

この5月の「團菊祭」で、来年13代市川團十郎襲名が決まった、海老蔵が、

歌舞伎で最も人気のある出し物、「歌舞伎十八番」でもある、「勧進帳」の「弁慶」を演じました。九代目が提唱した、「型に魂を注ぐ」ことを、体現してくれた、素晴らしい「弁慶」でした。19歳(当時新之助)から、何度か演じてきた役ですが、42歳になって、やっと、型に魂が入り、それがオーバーフローする事無く、型も美しくエネルギーに満ち満ちたものでした。長寿社会になり、現在、42歳はまだまだ若い!と言われていますが、パフォーミングアーツの世界では、40歳台は「心・技・体」が最も充実する年代と思います。(特に男性は)

これはオペラでも、言えます。イタリアのテノール歌手、ヴィットリオ・グリゴーロと海老蔵は同じ年代です。これから、この二人の「旬」を楽しみたいと

思います。Kiki


タグ:歌舞伎
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サロメ [文学]

ajisai.jpgサロメの物語は、新約聖書に、ほんの1~2行書かれているにすぎません。紀元1世紀頃に、実在した女性とされています。彼女の義理の父はパレスチナの領主、ヘロデ王。実母は、ヘロデ王の后のヘロディアです。ヘロデ王は、サロメの父で、自身の兄である先代のパレスティナ領主を殺し、その后だった、ヘロディアを手に入れました。この、記述をもとに、様々な画家(ギュスターブ・モローや、グスタフ・クリムト等)が、画材として取り上げ、イギリスの作家、オスカー・ワイルドが、戯曲にしました。リヒャルト・シュトラウスはこのオスカーワイルドの戯曲をベースに、オペラに仕立て上げました。

実際の年齢は記述されていませんが、サロメは、多分、13歳~15歳くらいと思います。この年齢の娘が持つ、自身では認識していない、無邪気な、ある種のセクシャルな言動、振る舞いが、周囲を困惑させ、魅了させる力を持つことになります。

イエス・キリストに洗礼を授けたと言われる、洗礼者ヨハネ(劇中ではヨカナーン)は、ヘロデ王に捕らえられています。多くの民衆に、ヘロデ王にとって、良からぬキリストの教えを伝道したこと。また、ヨハネが、妻のヘロディアの倫理的に許されない再婚を非難したことが理由です。しかし、サロメは、ヨハネを一目見た時、彼の純粋な目と、揺るぎの無い信仰心に、サロメ自身では気付かない恋をしてしまいます。サロメは、地下牢にいる、ヨハネに会いに行きますが、ヨハネが全く関心を示さない事に

怒りを覚え、「私は貴方にきっと、吻けして見せる!」と予言します。

一方、ヘロデ王は、義理の娘(姪にもあたる)にも、邪まな野心を抱いています。サロメに、ダンスを強要し、見事に踊り終わったら、望みの褒美を与えると約束します。

そして、サロメは、それを承諾し、7つのベールの踊りを披露します。サロメが踊り終わったあと、ヘロデが、「それでは、お前の望むものを言うが良い!」と言うと、サロメは「私にヨハネの首をちょうだい!」と言います。ヘロデ王は、ヨハネを処刑し、その首を持ってこさせて、サロメに与えます。

サロメは、首だけになった、ヨハネに吻けをし、法悦の極みに達します。これを見ていたヘロデ王は

サロメに得体の知れない恐怖を覚え、彼女の処刑を命じます。物語はこれで終わります。

一人のエキセントリックな少女の所業が、多くの大人たちを翻弄し、キリスト教の真義を脅かす、この物語(聖書からすると実際に起こった事?)を、文学、美術、音楽に携わる多くの男性芸術家が、興味を抱き、作品に仕上げました。いずれも、高い芸術性を持った作品です。

音楽作品で言うと、「トリスタンとイゾルデ」「サロメ」「ペレアスとメリザンド」「ヴォツェック」「ルル」、R.シュトラウスの歌曲の数々等、人間の「エロス」を芸術にまで高める精神構造は、西洋キリスト教の人々に日本人は適いません。

オペラサロメの愉快なエピソードを披露しましょう。友人のスペインバルセロナ音楽院出身のテノール歌手に、モンセラ・カバリエ(バルセロナ出身のソプラノ歌手)がサロメを演じたAVを見せてもらったことがあります。あの巨体(多分150Kgはあった?)ですから、もちろん7つのヴェールの踊りは踊れません。バレリーナが、シルエットのような演出で踊りました。その踊りの後、褒美のヨハネの首は

銀の盆に載せてサロメ(カバリエ)の前に置かれます。そして、その後、サロメの長い独唱があり、いよいよ首だけになった、ヨハネに吻けをする場面です。ところが、クライマックスのこの場面になった時、急に「バリバリ」と音がしました。その盆が、壊れたのです。舞台用ですから、プラスチックで軽く作られていたのでしょう!普通のソプラノ歌手でしたら持ちこたえていた盆が、カバリエの体重に耐え切れず壊れてしまったのだと思います。続けて、カバリエは、怒りにかられたのか?自分で演出したのか?この壊れた盆を、次々と、壊しはじめたのです。手で引きちぎっては、投げ、ちぎっては投げ、盆は跡形も無くなりました。最後ヨハネの首に吻けして、カバリエのサロメは幕を閉じました。見ている私たちは抱腹絶倒!前代未聞のオペラサロメでした。Kiki



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