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ニューイアーオペラコンサート [オペラ]

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毎年1月3日に開催される、恒例のNHKニューイヤーオペラコンサート、今年は、昨年までと、全く

お趣を異にした、プログラムでした。イタリアの若きマエストロ、バッティストーニ氏を指揮者に迎え、

イタリアオペラを中心にした、プログラムで進行されました。今年特に感じられたのは、歌手と演目(オペラの役やアリア)に、ミスマッチがほとんで無かったことです。私の想像では指揮者のバッティストーニ氏の意向が、強く反映されたのでは?と思います。そして、歌い手たちの衣装も、多分ほとんど

自前の衣装ではなかったかと思われます。昨年の無残な、「モーツァルトファンタジー」と称した、モーツァルトのオペラの数々、NHKお仕着せの醜い衣装や、めちゃくちゃな、歌手への割り振り、(声と役のミスマッチは酷かった)からすると、ズッとマシでした。

今年は多分、選ばれた歌手たちが、まず、自分の歌いたい曲を提出し、マエストロが、吟味してOKを出したのでは?と思われるプログラムでした。

但し、プログラム全体は、支離滅裂で、何の一貫性もテーマも無く、GALAコンサートだったとしても、

もう少し、コンサート全体のポリシーや目標を明確にすべきと思われます。

ハープのメストレ氏のコーナーも、このオペラコンサートの中で取り入れるには、無理がありました。ハープは素晴らしい楽器ですが、音の色や音量が、あまりにも、オペラと違い過ぎます。会場で聞いたわけではありませんが、ヴェルディや、プッチーニのオペラの後で、ハープの音は、あまりに

小さ過ぎます。メストレ氏が気の毒でした。5~6年前、ザルツブルグ音楽祭で、ソプラノのディアナ・

ダムラーとメストレのハープの伴奏による、ドイツ歌曲とフランス歌曲のコンサートは忘れられません!もしハープだけの伴奏で歌うのであれば、最大でも、800名くらいのリサイタルホールで行われるのがハープにも声にも相応しいはずです。

しかし、ともかく、昨年までの、「どうして、この歌手がこの歌を歌うの??」と言う疑問は、今年は少しだけ解消されました。

それにしても、国際的に活躍している、(オリンピックで言えば、金メダリスト)の歌手がいないのは

残念です。Kiki

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トスカ [オペラ]

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11月9日、日生劇場で上演された、オペラ「トスカ」を見てきました.

公益財団法人ニッセイ文化振興財だが主催する、オペラ公演で、毎回5~6回催されます。この内、2回は、一般公開、その他は、高校中学生向けの公演です。彼等に、本格的オペラを、素晴らしい劇場で鑑賞してもらい、総合芸術である、オペラを、青少年に体験してもらおうとの意図から創められた事業と聞いています。東京の日比谷公園をのぞむ、日生劇場と言う、公共の会館とは違う、ゴージャスで、素晴らしい劇場で、単なる学校行事で行われる「芸術鑑賞会」とは一味異なる、経験を中・高校生は味あうことになるのです

今回は、「ニッセイオペラ」では、初めて取り上げる「トスカ」でした。プッチーニは、様々な国の女性を

題材に、オペラを書いています。「蝶々夫人」は日本の長崎、「トゥーランドット」は中国の北京、「ラ・ボエーム」はフランスのパリ、「西部の娘」はアメリカのウエスタン等、それぞれの国や都市で生きる女性を個性豊かに力強く音楽と声で表現する作品です。そして、「トスカ」はイタリアのローマの女性です。題材は、フィクションですが、登場人物の、トスカ、カバラドッシ、スカルピア、アンジェロッティには、それぞれモデルがいると言われています。そして、舞台が繰り広げられる、場所も、総て、現在もローマの中心地に存在する、歴史的建造物です。

第1幕の教会は、「サンタ・アンドレア・デッレ。ヴァッレ」。2幕は、その教会から歩いて数分の「ファルネーゼ宮殿」(ここは、現在フランス大使館になっています。残念ながら、一般公開されていません)。

そして第3幕は、テベレ側沿って建つ、「サンタンジェロ城」です。ローマにいらしたら、是非、このトスカの舞台巡りをお勧めします。サンピエトロ寺院も、サンタンジェロ城の近くです。

トスカの音楽は、プッチーニが、充分にエネルギーがあった時代に書かれています。従って、大変ドラマティックで、音楽だけでも、充分血沸き、肉躍ります。

先日の公演で、以前のグログでも紹介したテノールの「工藤和真さん」がカバラドッシ役に抜擢され

出演しました。有名なアリアが、ありますが、それよりも、多くのオペラ「トスカ」ファンは、2幕で、カバラドッシが支持しているナポレオン軍が、ローマで勝利した知らせが、スカルピアにもたらせられた時

叫ぶ「Vittoria!Vittoria!...]を待っています。伝説によると、イタリアのある劇場で、この部分で拍手が止まず、アンコールが行われたと言われいます。今回も素晴らしい[Vittoria]でした。

この声だけで、総ての聴衆を魅了したと思います。これからも、どんどん進化してくれることを願っています。  Kiki

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イタリアの人間国宝 レオ・ヌッチ [オペラ]

Opera_ButaiAisatu2nin.jpg左レオ・ヌッチ(2016年ミラノスカラ座)

イタリアのバリトン歌手、レオ・ヌッチは1942年生まれで、今年77歳になる、現役のオペラ歌手です。

彼を生で初めて聴いたのは、1981年,ミラノスカラ座の初の日本公演の、「セヴィリアの理髪師」のフィガロ役でした。この公演は、指揮クラウディオ・アバド、フィガロ レオ・ヌッチ、 アルマヴィーヴァ伯爵 フランシスコ・アライサ、ロジーナ ルチア ヴァレンティーニ・テラーニ、バジリオ フルッチョ・フルラネット 他、最高のメンバーで、私が、何度か生で、あるいは、録音等で聞いたセヴィリアの中の最高でした。なんと言っても、マエストロ アバドの究極のテンポ感と、音楽の色彩の豊かさ、歌手たちを最高の演奏に導く、愛情溢れるリーダーシップは格別でした。 その時ヌッチは、39歳でした。

セヴィラのフィガロに続いて、彼の得意とするオペラは「リゴレット」です。3年前、すでに、74歳になっていたヌッチが、ヴィットリオ・グリゴーロのマントヴァ公爵で、スカラでのリゴレットも聞くことができました。本当に素晴らしいリゴレットでした。

そして、今年9月現在、スカラ座付属のオペラアカデミーの生徒たちによる、「リゴレット」がスカラ座で

9回上演されています。なんと、リゴレット役は、9回全回、ヌッチが歌います。指揮は、ダニエル・オ

ーエンです。マントヴァ公爵・ジルダ・マッダレーナ・その他 の配役は、全員、アカデミアの生徒たちです。


日本では、「人間国宝」と呼ばれる、画家、彫刻家、陶芸家、歌舞伎俳優、邦楽演奏家、能楽その他

様々な芸術・工芸部門に携わる優れた人々に与えられる称号があります。「人間国宝」に選ばれた

方々は、勿論それぞれの分野での技量が優れていなければなりませんが、加えて、「後継者の育成」も重要な基準と聞いています。


バリトン レオ・ヌッチは、日本式に言えば、イタリアオペラ界の「人間国宝」ではないでしょうか?

その彼が、77歳でも現役でも歌い、それだけでも、称号に値するのに、今回のアカデミアの生徒たち

を、自らが舞台に立つことで、「国劇」イタリアオペラの真髄を後輩たちに伝えようとしている情熱に

感激しています。


叶うことなら、ミラノに飛んでいき、ヌッチとアカデミアの生徒たちの「リゴレット」見たいです!


Buravo!  Maestro  Leo・Nucci


Kiki

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ゴットフリート・ワグナーII [オペラ]

tristan4-d9e9e.jpgトリスタンとイゾルデ イメージ

リヒャルト・ワグナーのひ孫にあたる、ゴットフリート・ワグナーについては、以前、このブログで取り上げました。毎年、8月は、日本では、広島・長崎の原爆の日や、15日の終戦記念日もあり、第2次世界大戦のことを思い起こす月でもあります。日本と同じ、敗戦国ドイツ生まれ(1947年)のゴットフリート・ワグナーには、同じ年代と言うこと、音楽の巨匠・ワグナーのひ孫と言うこともあり、とても、興味深く、ある意味、親近感も持っています。

R.ワグナーの作品だけを上演する「バイロイト音楽祭」は、現在も世界中のワグネリアンの聖地として多くの信者?が毎年巡礼?し続けています。[I]でも申し上げたように、R.ワグナーの総ての作品

はそれこそ「世界遺産」でもあるわけです。たとえば、「トリスタンとイゾルデ」の音楽に、身を委ねた時の恍惚感は、イタリアオペラの音体感とは、全く異なるものです。人間の奥深いところにある、精神と肉体とが、入り混じった「官能」を、音楽が、表現しています。R.ワグナーの才能に感謝です。

しかし、一方、R.ワグナーが「反ユダヤ主義」であったことに端を発し、ヒットラーとナチスドイツが

彼等の「反ユダヤ主義」のプロパガンダとして、R.ワグナーの作品を利用した事実。また「バイロイト音楽祭」を仕切る、その後のワグナー一族の、「ホロコースト」等への反省のかけらも無い、戦後の

振る舞いを知る人は少ないと思います。


ワグナー家の一員である、ゴットフリート・ワグナーは、使命として、この贖罪に取り組みました。注目すべき活動として、彼は、「イスラエルにおけるワグナーと言うケース」と題して、ユダヤ人の国イスラエルで講演をしました。この講演で、ゴットフリートは、父ヴォルフガング、伯父ヴィーラントがイニシアティブを取る、「バイロイト音楽祭」についても、批判しました。

当然なところ、両親を初め、一族からは、猛反発を受けます。ゴットフリートは、青年期からオペラや、自身の博士論文でもある、「ブレヒト&クルト・ワイル」の舞台演出を手掛けるほど、舞台芸術の才能に溢れた人にも関わらず、現在もなお、「バイロイト音楽祭」への参加(観客としてさえ)は禁止されています。

ゴットフリートは、自身のルーツから、常に、自身のアイデンティティー(居場所・立ち位置?)について自問しています。自分の家族が、ヒットラーと組んで、ホロコースト等で行った、ユダヤ人大量虐殺に、間接的にせよ、関与した事実はあるわけです。終戦後も、「ワグナーの芸術」を「錦の御旗」に掲げ自身の両親はじめ、公的には、一言の反省も無しに、「バイロイト音楽祭」が続けられていることに

一族として、我慢がならないのです。このことについて、一石を投じる責任があるのは、一族である、

自分の使命だと、彼は考えています。

私自身、ヨーロッパに留学(音楽で)していた経験から、欧米人にとっての「ユダヤ人」の存在は、大変微妙な問題なのだ!との強い印象を持ちました(ある種、アンタッチャブルな事?)。私のまわりの、西欧人の何人かは「彼等は、私たちとは、別な人々だから」「彼等は、彼等自身が、他の人々とは違う人間と言う強い意識がある」との言葉を何度も聞きました。

白色系欧米人から見るユダヤ人への特別な思いは、シエクスピアの戯曲「ベニスの商人」に描かれている、人物像と、現在も何も変わっていない気がします。

それにしても、自身の「アイデンディティー」も揺るがしかねない、ゴットフリート・ワグナーの行動力に

私は大いなる敬意を表します。Kiki


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オペラ玉手箱 [オペラ]

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6月29日(土)、新国立劇場大ホールで、「大野和士オペラ玉手箱」と題した

レクチャーコンサートが開かれました。

7月に、新国立劇場で上演される、プッチーニ作曲のオペラ「トゥーランドット」の

様々な内容を、大野さんが自らピアノを弾き、解説をする、コンサートでした。

この中で、大野さんは、プッチーニの音楽、オーケストレーション、歌や音楽に込められた作曲者の意図、登場人物像等を、丁寧に解説してくれました。

このオペラは、2018~19年シーズンの新国立劇場のオペラ公演の最後を飾るもので、大野さんがタクトを振ります。このオペラのソリスト(主に外人)の中で、まだ、来日していない、トゥーランドット役とカラフ役が、このコンサートの為に、若手が起用されました。グランドオペラのテノールの役としては、大変大きな、カラフ役に、工藤和真さんが抜擢されました。

 

中国、北京を舞台に繰り広げられる、スペクタルオペラの「トゥーランドット」は、今や

世界のオペラハウスでの人気演目です。そして、フィギアースケートの曲としてすっかり有名になった「誰も寝てはならぬ!」は、現在、東京上野駅の山手線発着にも使われるほどポピュラーになりました。

 

第1幕は、北京群集(コーラス)、召使で宦官のピン・ポン・パンの登場。そして、シルクロードの、とある国の王様で、国を追われ、流浪の旅に出ているティムール、その息子のカラフ、その旅に付き添っている、元は小国のプリンセスでもあったリューの3人も舞台に登場します。この時の、ライトモチーフとも言える、美しい旋律は、この3人の人物像を、見ている観客にイメージを導いてくれます。

トゥーランドット姫を一目見たカラフは、恋に落ち、危険な婿候補として「トゥーランドット姫」が出題する3つの質問に答えるゲームに、エントリーします。今までの婿候補は答えられず、首を切られるという、過酷な婿選びなのです。

 

第2幕は、いよいよ、トゥーランドット姫とカラフの、問答のやりとりの場面です。

ドラマティックソプラノが演じる、トゥーランドット姫は、その声の迫力で、3つの質問をカラフに投げかけます。あらゆるオペラの中でも、ソプラノとテノールが声で対決する

緊迫した、迫力ある場面です。グランドオペラの代表的なこのオペラの主役達には、声のヴォリュームも必要ですし、声のクオリティの高さも要求されます。工藤さんは、充分にこれらを満たしていると感じました。このコンサートでは、第1問と第3問が、演奏されました。ソプラノはロシア出身の素晴らしい声の持ち主でした。3つの質問に総て正解した、カラフは、動揺したトゥーランドット姫の気持ちを、慮って、彼から質問を出して、時間と気持ちの猶予を姫に与えます。

それは「私は誰でしょう?私の名前を言うように!」と言うものでした。

 

第3幕は、冒頭にカラフのアリア、「誰も寝てはならぬ」ありますが、これは後の述べることにします。

プッチーニ自身は、病気(その後亡くなります)のため、この3幕の途中までしか

作曲できませんでした。ティムールとリュウーが捉えられて、群集と姫たちの「お前達はこの男の名前を知っているだろう!!」との、執拗な問いかけに、リューが、「氷のような姫の心もきっと愛を知ることで溶けるでしょう!」というアリアの後、傍にいた兵士の剣を取って、自害します。そして、カラフとティムールが、遺体に駆け寄り、「可愛そうなリュー、」と嘆く場面と音楽が続ます。ここまでプッチーニは楽譜に残しました。

その後のフィナーレのパートは、彼の弟子が、プッチーニの作曲スケッチを元に作曲しました。

 

大野さんは、プッチーニが、作曲した部分まで、レクチャーとして取り上げました。

ただ、彼は、「やはり、オペラとして上演される場合、プッチーニ自身が作曲した部分だけに捉われることは、ストーリーとして成り立たないので、弟子が、補筆したフィナーレの部分を上演する事は必要」とも述べていました。

 

さて、「誰も寝てはならぬ」ですが、総てのレクチャーと、出演者全員のカーテンコールが

終了した時、大野さんが、「皆さん、これで、オペラトゥーランドットが終わってしまうのは、何か心残りではありませんか?」と、突然舞台上から、客席に投げかけました。

そして、工藤和真さんを舞台中央に招き、「これから、日本を代表する一流のテノール歌手になるであろう、工藤和真さんに、誰も寝てはならぬを歌っていただきます!」と結びました。大野さんのピアノで、工藤さんの「誰も寝てはならぬ」が歌われ(素晴らしかった!)、客席からのブラヴォーで、このコンサートは幕を閉じました。

 

世界中の重要なオペラハウス、オーケストラで、指揮を取る、マエストロ大野和士さんに

大抜擢された、われ等のテノール「工藤和真さん」の、今後の活躍を期待しましょう!

彼は、11月9日、東京日生劇場の「トスカ」カヴァラドッシ役でメジャーデビューします。KIKI

 


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New  Tenor !! [オペラ]

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マリオ・デル・モナコ、 フランコ・コレルリ、アルフレード・クラウス、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレラス、

ジャコモ・アラガル、フランシスコ・アライサ、ルチアーノ・パヴァロッティ、ヴィットリオ・グリゴーロ、

そして市原多朗さん。無類のテノール好きな私は、これらのテノール歌手たちの、生の(勿論、オペラハウスやコンサートホールで)声を聞く事ができました。それも、テノールにとって、ほんの、短い期間の「旬」の時にです。

ソプラノやバリトンの歌手たち(自分がソプラノだからかもしれませんが?)に比べ、テノールのある種「命がけ」とも言える、歌唱には、血沸き、肉踊るものがあります。テノール歌手たちの第一声は、彼等の人間性、人生、が、聞き手に伝わり、時には劇場の中にもかかわらず、どこか異国の地にいるような、また、自然の中に置かれているような不思議な錯覚に陥ります。

音楽演奏家の中で、歌い手だけは、楽器と異なり、小さい頃からの英才教育が通用しない分野です。

声と言う、肉体に備わった楽器で、音楽を表現するには、神様から与えられた何か?(Somethingels?)が必要なのです。加えて、その歌い手に備わった(あるいは、身に付けて行く)、知性、人格、教養、勇気、等が求められます。


今年29歳になった、工藤和真さんは、私が盛岡で発見しました。高校3年生の時出場した、「学生音楽コンクール」東日本二次予選で初めて彼の声を聞いたとき、荒削りではありましたが、「宝物!」

と思いました。様々なテノールの声を聞いていた私の耳に、神様が日本の若者にも、Giftを下さった

と感じました。私の大好きな、日本一のテノールの市原多朗さんに、芸大学部・大学院と師事し、

素直に、正しい道を今歩んでいます。そして、彼の家族や、友人、私も含めた多くの音楽家たち、

皆で、彼を育てて行っている感じです。


このブログの冒頭に写真は、ミラノスカラ座の劇場内です。

「目指せ、スカラ座!」 私の工藤さんへの、激励の言葉です。

Vittorio_fini_L'opera.jpgVittorio  Grigolo

近い将来、工藤さんが「日本出身のNew  Tenor」として、この舞台に登場したら、なんと嬉しいことでしょう!

今年11月9日、東京日生劇場 オペラ「トスカ」のカバラドッシ役で、日本での、メジャーデビューします。Kiki


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ロメオとジュリエット [オペラ]

Romeo_et_Juliette_TokyoOpera.jpgシエクスピア原作の「ロメオとジュリエット」は、オリジナルの「芝居」の他に、「オペラ」「バレー」「音楽組曲」そして近年「ミュージカル」と、様々な分野で取り上げられています。


言葉の問題がある「芝居」(ストレートプレイ)と異なり、プロコフィエフ作曲のバレー「ロミオとジュリエット」は、音楽と踊りだけで見ている者を「ロメオとジュリエット」の世界に誘ってくれます。それは、この物語が世界一有名な、だれでも知っているラブストーリーであることも大きいでしょう。


幸運なことに、このバレーの伝説と言われる、ルドルフ・ヌレエフとマーゴット・フォンティーンの舞台を見たことがあります。フォンティーンはバレリーナのピークはすでに過ぎた、多分40歳後半(?)だったのではないかと思いますが、15歳か?の初々しいジュリエットにしか見えませんでした。バレーが、踊るテクニックだけでなく、音楽を感じ、その役に成りきり、場面場面で、ジュリエットの感じた事々が、観客の目と心に美しく感動的な印象を与えるものだと深く感じました。そしてフレエフは、登場した時から、美しい、ただひたすらジュリエットを愛する、「ロメオ」でした。


このバレーが優れているのは音楽です。冒頭の、キャプレット家とモンタギュー家の対立する若者たちの群舞の音楽は素晴らしいです。レナード・バーンスタイン作曲のミュージカル「ウエストサイド物語」幕開けの群舞は、このバレーに倣ったものでしょう。両方を、映像だけでなく、舞台で見ることも興味深いです。


そして、大好きな「ロメオとジュリエット」は、グノー作曲のオペラです。

フランス語のオペラであることと、ロメオ(テノール)とジュリエット(やや軽いソプラノ)、主役二人が

音楽的にも声楽的にも非常に難しいことで、日本で上演(海外の引越し公演も含め)されることが

あまりありません。

本日、東京オペラプロデュース製作のオペラ「ロメオとジュリエット」見ました。もちろんすべて日本人キャストです。主役の「ロメオとジュリエット」は私の観たなかのベストでした。声も姿も演技もこのオペラにピッタリで、日本人でこれだけできるのだ!と感心し感激しました。芝居の「ロメオとジュリエット」は20歳台(あるいは10歳代?)の初々しい俳優たちが演じることが可能ですが、オペラの場合、声も音楽も優れた早熟な才能のある歌手が出現しない限りそれは無理です。ある程度、声自身もテクニックも身に付き、それでいて、姿・演技が、(お腹の出っ張ったテノールのロメオはありえません。いくら声が出たとしても)ロメオらしく初々しくなければならないのです!

それは、ジュリエットにも言えます。25年くらい前、やはり日本人キャストのロメオとジュリエットのオペラを観た時、、コーラスが「可愛い、美しいジュリエット!」と讃えてジュリエットが登場する場面で、私は、ジュリエットのお祖母さんが登場したのか?と思いました。

そのようなわけで、オペラ「ロメオとジュリエット」はなかなか上演が難しいのかもしれません。

でも、今日は、ロメオ: 城 宏憲  ジュリエット:梅津 藍  のコンビとても初々しく素敵でした。

昨年のニューヨーク メトロポリタンオペラの、 ロメオ:Vittorio・Grigolo   ジュリエット:Diana

Damrau  この二人の塾年カップルより、ズッと、グノーの音楽が求める、清純な純粋な若いラブストーリーに声も姿も演技もフィットしていました。  Kiki  


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ゴットフリート・ワグナー [オペラ]

tristan3.jpg ワグナーのオペラだけを、上演する、「バイロイト音楽祭」を、ご存知の方も多いと思います。 1876年リヒャルト・ワグナーが提唱して幕開けしました。
毎年、7月~8月に現在も続く世界中の音楽祭の中で最も切符が手に入り難い音楽祭と言われています。 この音楽祭は、驚くことに、今なお、ワグナー家一族で運営されています。(現在は、財団機構になり、以外の人も携わっていますが、依然としてワグナー家がイニシアティブを取っていることは確かです。)
ゴットフリート・ワグナーは、1947年生まれで、リヒャルトワグナーのひ孫にあたります。
ワグナーの息子・ジーグフリードとその妻ウィニフレッドは、R.ワグナー崇拝者で様々な政治活動にも利用したナチス・ヒトラーの庇護のもと、第2次世界大戦中も、「バイロイト音楽祭」は継続出来ていました。
戦後、のドイツの戦争裁判(ニュールンベルク裁判が代表的)で、数少ない女性の被告人として、R.ワグナーの息子の嫁にあたる、「ウィニフレッド」の裁判の映像を見たことがあります。彼女は「私が何の罪を犯したと言うの!第1にR.ワグナーの芸術を守るため、第2に、ドイツ国民のために、ヒトラーの庇護を受けただけ! アドルフ(ヒトラーのファーストネーム)は、とてもチャーミングな男で、私は今も彼のことが好きです!」 ユダヤ人大量虐殺の張本人であり、第2次世界大戦の元凶のヒトラーをこの世界的な裁判で擁護し、「好き」 と言えるウィニフレッドの異常とも言える大胆不敵な言動をあっけにとられ、見ていました。これは、中国の文化大革命の粛清裁判での「江青」にも似ています。
戦後は、それまで「音楽祭」を仕切っていた、このジーグフリードとウィニフレッドに代わり、彼らの二人の息子、ヴィーラントとヴォルフガング(ゴットフリートの父)たちが、「音楽祭」を主催し、1年交代で演出も手がけることになります。
彼らは、経費節減という経済的な理由で、舞台装置も殆ど無い、簡素な舞台を作り上げ、演出上で「バイロイト方式」と呼ばれる、一種前衛的な舞台で一斉を風靡しました。
ゴットフリートは、「ワグナー」と言う自身のルーツ、また、ヒトラーと公私ともに非常に親しかった自身の祖父母の存在、ユダヤ人大量虐殺はじめヒトラーの所業の数々を9歳(1955年~56年頃)の時に知ることになります。この前、1951年に、「バイロイト音楽祭」 は戦後初めて再開を果たします。それは、センセイショナルな出来事で、世界中のニュースになり、世界の根強いワグネリアン(ワグナー崇拝者)を熱狂させました。
成人した、ゴットフリートは父も伯父も、そして、多くのワグナー崇拝者たちが、「バイロイト音楽祭」「ヒトラー」 「ワグナー家」が犯した数々の罪の贖罪もせず、「ワグナーの芸術」の名のもとに、営々と音楽祭を続けていることに、大いに欺瞞を感じました。
「バイロイト音楽祭」では現在もなお、ワグナーの音楽しか、上演されません。 ゴットフリートがまず手がけたのは、旧チェコスロバキアにあった「テレジン(テレージエンシュタット)収容所」の音楽家達(プロの作曲家や演奏家)の発掘と、作品の発表でした。この収容所には多くの優れた音楽家たちが収容され、彼らが、収容所の中で演奏したと思われる記録や、楽譜が残されていたと言います。しかし彼らのほとんどは、ガス室で殺されてしまっています。
ゴットフリートはまた、ホロコースト加害者側のドイツ人、被害者側のユダヤ人たちで、第二次世界大戦後(自身も)に生まれた世代の人々が自己のアイデンティティーを「どのように考えるか?」をテーマに世界中でワークショップを開く活動もしています。加えて、自分の(ワグナー家の)両親・親族が、自己アイデンティティーを全く検証しない態度を厳しく批判しています。
ワグナーの音楽(オペラ・劇楽?)は、指輪3部作、パジルファル、トリスタンとイゾルデ等、どれを取っても素晴らしいものです。音楽に携わる一人として、彼のオペラをある程度理解して聴くことが出来たことは人生の宝かもしれません。特にトリスタンとイゾルデは合計4時間を越す時間、彼らの愛と官能を「これでもか!これでもか!」と超大なオーケストラと声で包まれるエクスタシーにも似た経験は何ものにも代えがたいです。 パルジファルも長い長いオペラですが、プラチド・ドミンゴがパルジファルを演じたウィーン国立歌劇場の公演が忘れられません。ホルストシュタインの指揮でした。ドミンゴのおかげで、全く退屈しませんでした。
でも、血沸き、肉踊るのは、何と言っても「イタリアオペラ」です。Verdi も Pucciniも 体の芯から、声の音楽の興奮を導き出してくれます。  
ゴットフリート・ワグナーを知ることになったのは、彼の著作のほとんどを翻訳している、ドイツ文学者の岩淵 達治氏の夫人の摩耶子さん(友人)(故人)通じてでした。岩淵先生は、ドイツ文学の中でも、戯曲や演劇の専門家でブレヒトやフルトワイルの研究で知られています。ゴットフリートも、彼自身の大学院の卒業論文で「ブレヒトとクルトワイル」を取り上げています。この二人は、ヒトラーの時代、迫害を受けた作家たちでした。 でも、摩耶子夫人は、「本当は、イタリアオペラが大好き」と生前おっしゃってました。  Kiki

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テノールのスリル [オペラ]

Scara.jpgテノールが大好きです。
オペラの世界では、その声種によってある程度役柄が決められています。
オペラは総合芸術ですが、「音楽」が占める部分が大きく、ヴィジュアルな部分が無くても、登場人物のキャラクターが分かるように設定されています。但し、このように声種が限定され初めたのは、ベルカントオペラが確立した頃(18世紀末から19世紀初めにかけて)と言えましょう。女声はソプラノ、メゾソプラノ、アルト。  男声はテノール、バリトン、バス、が代表的です。声種によって、それぞれの役柄や、時には身分なども設定されます。ベルカントオペラ以前のバロック時代等は「カストラート」(少年時に去勢して声をボーイソプラノのまま残した男声歌手)と呼ばれる特殊な声種の持ち主がオペラの主役を務めたりしていました。この伝統は、現在「カウンターテノール」(すべて裏声ファルセットで歌唱する男声歌手)に受け継がれています。もちろん、彼らは、「去勢」などしていません。
パヴァロッティ・ドミンゴ・カレラスの3人のテノールが、1990年イタリアで行われた「ワールドカップサッカー大会」の開幕記念コンサートが、ローマの古代遺跡「カラカラ浴場遺跡」で行われました。この時から、限られたオペラファンだけでなく、世界中に、オペラ歌手、特にテノールの声と歌が、多くの人々を感動させるものだと認識されたのでは?と思います。テノールは、ドラマティックでスリリングでセクシーでもあります。
テノールの声種を大いに発展させたのは、ヴェルディと言われています。
もちろん、モーツアルトやロッシーニもテノールに重要な役を与えていますが、アンサンブル要員の要素も
あるように思います。ヴェルディや、彼に続くプッチーニは、メインキャストあるいはヒーローとして、テノールを起用していますし、現在でもこのイタリアオペラ2大巨匠のオペラにおけるテノールは、音楽もテクニックも
限界を越えることが要求され、すべてのテノールは挑戦し続けています。(ドイツオペラ、特にワブナーにおけるテノールの役は、イタリアオペラとはまた異なった位置付けと思います。ワグナーは常に、オーケストレーションの中での声の役割を要求しています。長時間の楽劇のテノールはスタミナとの勝負とも言えます)
各自の持ち声で、ある程度歌唱可能なバリトンや、バスと異なり、テノールは(誤解を招くかもしれませんが?)不自然な、あるいは超絶技巧とも言えるテクニックを身に付けなければなりません。高音を出す技術はフィギュアスケート男子の4回転ジャンプに匹敵する技術です。それを、コンスタントに歌唱する技術は様々な条件がそろっていないと不可能です。それは、持って生まれた声の素質、アスリートとに近い肉体、特に筋肉の精度(強さとしなやかさ)、精神力(失敗を恐れない勇気)、芸術的な欲求(音楽性),弛まぬ努力と根気強さ、明晰は頭脳(優れた記憶力)等です。
かつては、「テノール馬鹿」(大きくて、高い声を出す人間は頭が空っぽに違いない?と名付けられた?)と呼ばれた時代がありました。どっこいどうして、パヴァロッティもドミンゴも大変優れた頭脳の持ち主です。伝説ですが、パヴァロッティなどは、最初は楽譜が良く読めなかった?と言われてきました。しかし、彼は一度聞いた音楽は、すぐ覚えられてしまうのです。オペラはじめ、音楽家にとって、最終的には、暗記(暗譜)が求められます。もちろん、楽譜読解は必須ですが、楽譜から作曲者の精神、情熱、を感じ取り、加えてそれを芸術の高みまで行き着く魂は、演奏者に求められます。特に、声楽は、生身の人間の声を駆使してそれに近付こうとしています。そしてテノールは、予測をはるか超えた宇宙に連れて行ってくれるのです。
素晴らしくスリリングではありませんか?
今、お気に入りは、イタリアのテノール、Vittorio Grigoloです。

Vittorio1.jpg1977年生まれで今年42歳になりました。2015年に東京オペラシティーでピアノ伴奏によるリサイタルをしました。その前から、映像等で彼のことは
知っていました。しかし、生の彼の声は格別でした。録音では把握できない、声のヴォリューム、音色、息使い、全てが素敵で、心震えました。その後、ミラノスカラ座で、「ランメルモールのルチア」エドガルド、「ボエーム」ロドルフォ、「リゴレット」マントバ公爵を聞きました。スカラ座の伝統的なアコースティックな空間で、ヴィットリオの声は、隅々まで行き渡り、同じ時空に居られる幸せを感じました。この頃までのヴィットリオは、少々荒削りで、未だ少年っぽさが残る声でした。しかし、昨年12月3年ぶりで東京で今回はオーケストラ伴奏のリサイタルをしました。「どのような声になったか?」と期待と不安(テノールはある日突然墜落することがあります)で聞きに行きました。2015年~2018年までヴィットリオは、世界中のメインオペラハウスで歌い続けて
いました。レパートリーもどんどん広げています。12月のリサイタルの彼の声は、少年っぽさは影を潜めて
成熟した男の声になっていました。世界のフィールドで第一線で演奏することは、このように「洗練」されるものなのだ!と感心して帰途につきました。でも、以前聞いた、彼のある種スリリングな、少年っぽい声に懐かしさも感じたのも事実です。但し、Vittorio Grigolo は今が「旬」であることは確かです。Kiki

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