ニューイアーオペラコンサート [オペラ]
トスカ [オペラ]
イタリアの人間国宝 レオ・ヌッチ [オペラ]
ゴットフリート・ワグナーII [オペラ]
オペラ玉手箱 [オペラ]
6月29日(土)、新国立劇場大ホールで、「大野和士オペラ玉手箱」と題した
レクチャーコンサートが開かれました。
7月に、新国立劇場で上演される、プッチーニ作曲のオペラ「トゥーランドット」の
様々な内容を、大野さんが自らピアノを弾き、解説をする、コンサートでした。
この中で、大野さんは、プッチーニの音楽、オーケストレーション、歌や音楽に込められた作曲者の意図、登場人物像等を、丁寧に解説してくれました。
このオペラは、2018~19年シーズンの新国立劇場のオペラ公演の最後を飾るもので、大野さんがタクトを振ります。このオペラのソリスト(主に外人)の中で、まだ、来日していない、トゥーランドット役とカラフ役が、このコンサートの為に、若手が起用されました。グランドオペラのテノールの役としては、大変大きな、カラフ役に、工藤和真さんが抜擢されました。
中国、北京を舞台に繰り広げられる、スペクタルオペラの「トゥーランドット」は、今や
世界のオペラハウスでの人気演目です。そして、フィギアースケートの曲としてすっかり有名になった「誰も寝てはならぬ!」は、現在、東京上野駅の山手線発着にも使われるほどポピュラーになりました。
第1幕は、北京群集(コーラス)、召使で宦官のピン・ポン・パンの登場。そして、シルクロードの、とある国の王様で、国を追われ、流浪の旅に出ているティムール、その息子のカラフ、その旅に付き添っている、元は小国のプリンセスでもあったリューの3人も舞台に登場します。この時の、ライトモチーフとも言える、美しい旋律は、この3人の人物像を、見ている観客にイメージを導いてくれます。
トゥーランドット姫を一目見たカラフは、恋に落ち、危険な婿候補として「トゥーランドット姫」が出題する3つの質問に答えるゲームに、エントリーします。今までの婿候補は答えられず、首を切られるという、過酷な婿選びなのです。
第2幕は、いよいよ、トゥーランドット姫とカラフの、問答のやりとりの場面です。
ドラマティックソプラノが演じる、トゥーランドット姫は、その声の迫力で、3つの質問をカラフに投げかけます。あらゆるオペラの中でも、ソプラノとテノールが声で対決する
緊迫した、迫力ある場面です。グランドオペラの代表的なこのオペラの主役達には、声のヴォリュームも必要ですし、声のクオリティの高さも要求されます。工藤さんは、充分にこれらを満たしていると感じました。このコンサートでは、第1問と第3問が、演奏されました。ソプラノはロシア出身の素晴らしい声の持ち主でした。3つの質問に総て正解した、カラフは、動揺したトゥーランドット姫の気持ちを、慮って、彼から質問を出して、時間と気持ちの猶予を姫に与えます。
それは「私は誰でしょう?私の名前を言うように!」と言うものでした。
第3幕は、冒頭にカラフのアリア、「誰も寝てはならぬ」ありますが、これは後の述べることにします。
プッチーニ自身は、病気(その後亡くなります)のため、この3幕の途中までしか
作曲できませんでした。ティムールとリュウーが捉えられて、群集と姫たちの「お前達はこの男の名前を知っているだろう!!」との、執拗な問いかけに、リューが、「氷のような姫の心もきっと愛を知ることで溶けるでしょう!」というアリアの後、傍にいた兵士の剣を取って、自害します。そして、カラフとティムールが、遺体に駆け寄り、「可愛そうなリュー、」と嘆く場面と音楽が続ます。ここまでプッチーニは楽譜に残しました。
その後のフィナーレのパートは、彼の弟子が、プッチーニの作曲スケッチを元に作曲しました。
大野さんは、プッチーニが、作曲した部分まで、レクチャーとして取り上げました。
ただ、彼は、「やはり、オペラとして上演される場合、プッチーニ自身が作曲した部分だけに捉われることは、ストーリーとして成り立たないので、弟子が、補筆したフィナーレの部分を上演する事は必要」とも述べていました。
さて、「誰も寝てはならぬ」ですが、総てのレクチャーと、出演者全員のカーテンコールが
終了した時、大野さんが、「皆さん、これで、オペラトゥーランドットが終わってしまうのは、何か心残りではありませんか?」と、突然舞台上から、客席に投げかけました。
そして、工藤和真さんを舞台中央に招き、「これから、日本を代表する一流のテノール歌手になるであろう、工藤和真さんに、誰も寝てはならぬを歌っていただきます!」と結びました。大野さんのピアノで、工藤さんの「誰も寝てはならぬ」が歌われ(素晴らしかった!)、客席からのブラヴォーで、このコンサートは幕を閉じました。
世界中の重要なオペラハウス、オーケストラで、指揮を取る、マエストロ大野和士さんに
大抜擢された、われ等のテノール「工藤和真さん」の、今後の活躍を期待しましょう!
彼は、11月9日、東京日生劇場の「トスカ」カヴァラドッシ役でメジャーデビューします。KIKI
New Tenor !! [オペラ]
ロメオとジュリエット [オペラ]
ゴットフリート・ワグナー [オペラ]
ワグナーの息子・ジーグフリードとその妻ウィニフレッドは、R.ワグナー崇拝者で様々な政治活動にも利用したナチス・ヒトラーの庇護のもと、第2次世界大戦中も、「バイロイト音楽祭」は継続出来ていました。
テノールのスリル [オペラ]
オペラの世界では、その声種によってある程度役柄が決められています。
オペラは総合芸術ですが、「音楽」が占める部分が大きく、ヴィジュアルな部分が無くても、登場人物のキャラクターが分かるように設定されています。但し、このように声種が限定され初めたのは、ベルカントオペラが確立した頃(18世紀末から19世紀初めにかけて)と言えましょう。女声はソプラノ、メゾソプラノ、アルト。 男声はテノール、バリトン、バス、が代表的です。声種によって、それぞれの役柄や、時には身分なども設定されます。ベルカントオペラ以前のバロック時代等は「カストラート」(少年時に去勢して声をボーイソプラノのまま残した男声歌手)と呼ばれる特殊な声種の持ち主がオペラの主役を務めたりしていました。この伝統は、現在「カウンターテノール」(すべて裏声ファルセットで歌唱する男声歌手)に受け継がれています。もちろん、彼らは、「去勢」などしていません。
パヴァロッティ・ドミンゴ・カレラスの3人のテノールが、1990年イタリアで行われた「ワールドカップサッカー大会」の開幕記念コンサートが、ローマの古代遺跡「カラカラ浴場遺跡」で行われました。この時から、限られたオペラファンだけでなく、世界中に、オペラ歌手、特にテノールの声と歌が、多くの人々を感動させるものだと認識されたのでは?と思います。テノールは、ドラマティックでスリリングでセクシーでもあります。
テノールの声種を大いに発展させたのは、ヴェルディと言われています。
もちろん、モーツアルトやロッシーニもテノールに重要な役を与えていますが、アンサンブル要員の要素も
あるように思います。ヴェルディや、彼に続くプッチーニは、メインキャストあるいはヒーローとして、テノールを起用していますし、現在でもこのイタリアオペラ2大巨匠のオペラにおけるテノールは、音楽もテクニックも
限界を越えることが要求され、すべてのテノールは挑戦し続けています。(ドイツオペラ、特にワブナーにおけるテノールの役は、イタリアオペラとはまた異なった位置付けと思います。ワグナーは常に、オーケストレーションの中での声の役割を要求しています。長時間の楽劇のテノールはスタミナとの勝負とも言えます)
各自の持ち声で、ある程度歌唱可能なバリトンや、バスと異なり、テノールは(誤解を招くかもしれませんが?)不自然な、あるいは超絶技巧とも言えるテクニックを身に付けなければなりません。高音を出す技術はフィギュアスケート男子の4回転ジャンプに匹敵する技術です。それを、コンスタントに歌唱する技術は様々な条件がそろっていないと不可能です。それは、持って生まれた声の素質、アスリートとに近い肉体、特に筋肉の精度(強さとしなやかさ)、精神力(失敗を恐れない勇気)、芸術的な欲求(音楽性),弛まぬ努力と根気強さ、明晰は頭脳(優れた記憶力)等です。
かつては、「テノール馬鹿」(大きくて、高い声を出す人間は頭が空っぽに違いない?と名付けられた?)と呼ばれた時代がありました。どっこいどうして、パヴァロッティもドミンゴも大変優れた頭脳の持ち主です。伝説ですが、パヴァロッティなどは、最初は楽譜が良く読めなかった?と言われてきました。しかし、彼は一度聞いた音楽は、すぐ覚えられてしまうのです。オペラはじめ、音楽家にとって、最終的には、暗記(暗譜)が求められます。もちろん、楽譜読解は必須ですが、楽譜から作曲者の精神、情熱、を感じ取り、加えてそれを芸術の高みまで行き着く魂は、演奏者に求められます。特に、声楽は、生身の人間の声を駆使してそれに近付こうとしています。そしてテノールは、予測をはるか超えた宇宙に連れて行ってくれるのです。
素晴らしくスリリングではありませんか?
今、お気に入りは、イタリアのテノール、Vittorio Grigoloです。
1977年生まれで今年42歳になりました。2015年に東京オペラシティーでピアノ伴奏によるリサイタルをしました。その前から、映像等で彼のことは
知っていました。しかし、生の彼の声は格別でした。録音では把握できない、声のヴォリューム、音色、息使い、全てが素敵で、心震えました。その後、ミラノスカラ座で、「ランメルモールのルチア」エドガルド、「ボエーム」ロドルフォ、「リゴレット」マントバ公爵を聞きました。スカラ座の伝統的なアコースティックな空間で、ヴィットリオの声は、隅々まで行き渡り、同じ時空に居られる幸せを感じました。この頃までのヴィットリオは、少々荒削りで、未だ少年っぽさが残る声でした。しかし、昨年12月3年ぶりで東京で今回はオーケストラ伴奏のリサイタルをしました。「どのような声になったか?」と期待と不安(テノールはある日突然墜落することがあります)で聞きに行きました。2015年~2018年までヴィットリオは、世界中のメインオペラハウスで歌い続けて
いました。レパートリーもどんどん広げています。12月のリサイタルの彼の声は、少年っぽさは影を潜めて
成熟した男の声になっていました。世界のフィールドで第一線で演奏することは、このように「洗練」されるものなのだ!と感心して帰途につきました。でも、以前聞いた、彼のある種スリリングな、少年っぽい声に懐かしさも感じたのも事実です。但し、Vittorio Grigolo は今が「旬」であることは確かです。Kiki