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ゴットフリート・ワグナー [オペラ]

tristan3.jpg ワグナーのオペラだけを、上演する、「バイロイト音楽祭」を、ご存知の方も多いと思います。 1876年リヒャルト・ワグナーが提唱して幕開けしました。
毎年、7月~8月に現在も続く世界中の音楽祭の中で最も切符が手に入り難い音楽祭と言われています。 この音楽祭は、驚くことに、今なお、ワグナー家一族で運営されています。(現在は、財団機構になり、以外の人も携わっていますが、依然としてワグナー家がイニシアティブを取っていることは確かです。)
ゴットフリート・ワグナーは、1947年生まれで、リヒャルトワグナーのひ孫にあたります。
ワグナーの息子・ジーグフリードとその妻ウィニフレッドは、R.ワグナー崇拝者で様々な政治活動にも利用したナチス・ヒトラーの庇護のもと、第2次世界大戦中も、「バイロイト音楽祭」は継続出来ていました。
戦後、のドイツの戦争裁判(ニュールンベルク裁判が代表的)で、数少ない女性の被告人として、R.ワグナーの息子の嫁にあたる、「ウィニフレッド」の裁判の映像を見たことがあります。彼女は「私が何の罪を犯したと言うの!第1にR.ワグナーの芸術を守るため、第2に、ドイツ国民のために、ヒトラーの庇護を受けただけ! アドルフ(ヒトラーのファーストネーム)は、とてもチャーミングな男で、私は今も彼のことが好きです!」 ユダヤ人大量虐殺の張本人であり、第2次世界大戦の元凶のヒトラーをこの世界的な裁判で擁護し、「好き」 と言えるウィニフレッドの異常とも言える大胆不敵な言動をあっけにとられ、見ていました。これは、中国の文化大革命の粛清裁判での「江青」にも似ています。
戦後は、それまで「音楽祭」を仕切っていた、このジーグフリードとウィニフレッドに代わり、彼らの二人の息子、ヴィーラントとヴォルフガング(ゴットフリートの父)たちが、「音楽祭」を主催し、1年交代で演出も手がけることになります。
彼らは、経費節減という経済的な理由で、舞台装置も殆ど無い、簡素な舞台を作り上げ、演出上で「バイロイト方式」と呼ばれる、一種前衛的な舞台で一斉を風靡しました。
ゴットフリートは、「ワグナー」と言う自身のルーツ、また、ヒトラーと公私ともに非常に親しかった自身の祖父母の存在、ユダヤ人大量虐殺はじめヒトラーの所業の数々を9歳(1955年~56年頃)の時に知ることになります。この前、1951年に、「バイロイト音楽祭」 は戦後初めて再開を果たします。それは、センセイショナルな出来事で、世界中のニュースになり、世界の根強いワグネリアン(ワグナー崇拝者)を熱狂させました。
成人した、ゴットフリートは父も伯父も、そして、多くのワグナー崇拝者たちが、「バイロイト音楽祭」「ヒトラー」 「ワグナー家」が犯した数々の罪の贖罪もせず、「ワグナーの芸術」の名のもとに、営々と音楽祭を続けていることに、大いに欺瞞を感じました。
「バイロイト音楽祭」では現在もなお、ワグナーの音楽しか、上演されません。 ゴットフリートがまず手がけたのは、旧チェコスロバキアにあった「テレジン(テレージエンシュタット)収容所」の音楽家達(プロの作曲家や演奏家)の発掘と、作品の発表でした。この収容所には多くの優れた音楽家たちが収容され、彼らが、収容所の中で演奏したと思われる記録や、楽譜が残されていたと言います。しかし彼らのほとんどは、ガス室で殺されてしまっています。
ゴットフリートはまた、ホロコースト加害者側のドイツ人、被害者側のユダヤ人たちで、第二次世界大戦後(自身も)に生まれた世代の人々が自己のアイデンティティーを「どのように考えるか?」をテーマに世界中でワークショップを開く活動もしています。加えて、自分の(ワグナー家の)両親・親族が、自己アイデンティティーを全く検証しない態度を厳しく批判しています。
ワグナーの音楽(オペラ・劇楽?)は、指輪3部作、パジルファル、トリスタンとイゾルデ等、どれを取っても素晴らしいものです。音楽に携わる一人として、彼のオペラをある程度理解して聴くことが出来たことは人生の宝かもしれません。特にトリスタンとイゾルデは合計4時間を越す時間、彼らの愛と官能を「これでもか!これでもか!」と超大なオーケストラと声で包まれるエクスタシーにも似た経験は何ものにも代えがたいです。 パルジファルも長い長いオペラですが、プラチド・ドミンゴがパルジファルを演じたウィーン国立歌劇場の公演が忘れられません。ホルストシュタインの指揮でした。ドミンゴのおかげで、全く退屈しませんでした。
でも、血沸き、肉踊るのは、何と言っても「イタリアオペラ」です。Verdi も Pucciniも 体の芯から、声の音楽の興奮を導き出してくれます。  
ゴットフリート・ワグナーを知ることになったのは、彼の著作のほとんどを翻訳している、ドイツ文学者の岩淵 達治氏の夫人の摩耶子さん(友人)(故人)通じてでした。岩淵先生は、ドイツ文学の中でも、戯曲や演劇の専門家でブレヒトやフルトワイルの研究で知られています。ゴットフリートも、彼自身の大学院の卒業論文で「ブレヒトとクルトワイル」を取り上げています。この二人は、ヒトラーの時代、迫害を受けた作家たちでした。 でも、摩耶子夫人は、「本当は、イタリアオペラが大好き」と生前おっしゃってました。  Kiki

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テノールのスリル [オペラ]

Scara.jpgテノールが大好きです。
オペラの世界では、その声種によってある程度役柄が決められています。
オペラは総合芸術ですが、「音楽」が占める部分が大きく、ヴィジュアルな部分が無くても、登場人物のキャラクターが分かるように設定されています。但し、このように声種が限定され初めたのは、ベルカントオペラが確立した頃(18世紀末から19世紀初めにかけて)と言えましょう。女声はソプラノ、メゾソプラノ、アルト。  男声はテノール、バリトン、バス、が代表的です。声種によって、それぞれの役柄や、時には身分なども設定されます。ベルカントオペラ以前のバロック時代等は「カストラート」(少年時に去勢して声をボーイソプラノのまま残した男声歌手)と呼ばれる特殊な声種の持ち主がオペラの主役を務めたりしていました。この伝統は、現在「カウンターテノール」(すべて裏声ファルセットで歌唱する男声歌手)に受け継がれています。もちろん、彼らは、「去勢」などしていません。
パヴァロッティ・ドミンゴ・カレラスの3人のテノールが、1990年イタリアで行われた「ワールドカップサッカー大会」の開幕記念コンサートが、ローマの古代遺跡「カラカラ浴場遺跡」で行われました。この時から、限られたオペラファンだけでなく、世界中に、オペラ歌手、特にテノールの声と歌が、多くの人々を感動させるものだと認識されたのでは?と思います。テノールは、ドラマティックでスリリングでセクシーでもあります。
テノールの声種を大いに発展させたのは、ヴェルディと言われています。
もちろん、モーツアルトやロッシーニもテノールに重要な役を与えていますが、アンサンブル要員の要素も
あるように思います。ヴェルディや、彼に続くプッチーニは、メインキャストあるいはヒーローとして、テノールを起用していますし、現在でもこのイタリアオペラ2大巨匠のオペラにおけるテノールは、音楽もテクニックも
限界を越えることが要求され、すべてのテノールは挑戦し続けています。(ドイツオペラ、特にワブナーにおけるテノールの役は、イタリアオペラとはまた異なった位置付けと思います。ワグナーは常に、オーケストレーションの中での声の役割を要求しています。長時間の楽劇のテノールはスタミナとの勝負とも言えます)
各自の持ち声で、ある程度歌唱可能なバリトンや、バスと異なり、テノールは(誤解を招くかもしれませんが?)不自然な、あるいは超絶技巧とも言えるテクニックを身に付けなければなりません。高音を出す技術はフィギュアスケート男子の4回転ジャンプに匹敵する技術です。それを、コンスタントに歌唱する技術は様々な条件がそろっていないと不可能です。それは、持って生まれた声の素質、アスリートとに近い肉体、特に筋肉の精度(強さとしなやかさ)、精神力(失敗を恐れない勇気)、芸術的な欲求(音楽性),弛まぬ努力と根気強さ、明晰は頭脳(優れた記憶力)等です。
かつては、「テノール馬鹿」(大きくて、高い声を出す人間は頭が空っぽに違いない?と名付けられた?)と呼ばれた時代がありました。どっこいどうして、パヴァロッティもドミンゴも大変優れた頭脳の持ち主です。伝説ですが、パヴァロッティなどは、最初は楽譜が良く読めなかった?と言われてきました。しかし、彼は一度聞いた音楽は、すぐ覚えられてしまうのです。オペラはじめ、音楽家にとって、最終的には、暗記(暗譜)が求められます。もちろん、楽譜読解は必須ですが、楽譜から作曲者の精神、情熱、を感じ取り、加えてそれを芸術の高みまで行き着く魂は、演奏者に求められます。特に、声楽は、生身の人間の声を駆使してそれに近付こうとしています。そしてテノールは、予測をはるか超えた宇宙に連れて行ってくれるのです。
素晴らしくスリリングではありませんか?
今、お気に入りは、イタリアのテノール、Vittorio Grigoloです。

Vittorio1.jpg1977年生まれで今年42歳になりました。2015年に東京オペラシティーでピアノ伴奏によるリサイタルをしました。その前から、映像等で彼のことは
知っていました。しかし、生の彼の声は格別でした。録音では把握できない、声のヴォリューム、音色、息使い、全てが素敵で、心震えました。その後、ミラノスカラ座で、「ランメルモールのルチア」エドガルド、「ボエーム」ロドルフォ、「リゴレット」マントバ公爵を聞きました。スカラ座の伝統的なアコースティックな空間で、ヴィットリオの声は、隅々まで行き渡り、同じ時空に居られる幸せを感じました。この頃までのヴィットリオは、少々荒削りで、未だ少年っぽさが残る声でした。しかし、昨年12月3年ぶりで東京で今回はオーケストラ伴奏のリサイタルをしました。「どのような声になったか?」と期待と不安(テノールはある日突然墜落することがあります)で聞きに行きました。2015年~2018年までヴィットリオは、世界中のメインオペラハウスで歌い続けて
いました。レパートリーもどんどん広げています。12月のリサイタルの彼の声は、少年っぽさは影を潜めて
成熟した男の声になっていました。世界のフィールドで第一線で演奏することは、このように「洗練」されるものなのだ!と感心して帰途につきました。でも、以前聞いた、彼のある種スリリングな、少年っぽい声に懐かしさも感じたのも事実です。但し、Vittorio Grigolo は今が「旬」であることは確かです。Kiki

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日本歌曲 [音楽]

ajisai.jpg主に、クラシックの歌い手によって歌われる分野で「日本歌曲」と言うのが、あります。ドイツ歌曲(シューベルトやシューマン)、フランス歌曲(フォーレやドビュッシー)、イタリア歌曲(トスティやレスピーギ)、ロシア歌曲(チャイコフスキーやラフマニノフ)、これらの外来の芸術歌曲(アートソングス)に倣って名付けられたと思います。作曲家としては、瀧廉太郎、山田耕作、平井康三郎、中田喜直、團伊玖磨等が挙げられます。作り手も歌い手も「歌謡曲」や「演歌」「J-ポップ」とは、一線を隔しているようです。確かに、「日本歌曲」として演奏される場合、言葉(詩?)の重要性、音域の多様性など外国の歌曲を手本に作曲されたものが多いと感じます。しかしながら、「歌謡曲」であれ「日本歌曲」であれ、人々がそれを聞いた時に心に響き、残る印象に大きな違いがあるのかしら?と思います。
ヴィタリ・ユシュマノフ氏と言うロシア出身(サンクトペテルブルク生まれ)のバリトン歌手が、2013年から、日本で活動しています。日本歌曲7曲を含む彼のリサイタル、「CD「ありがとう」を風にのせて」を聞きました。彼はもちろん「オペラ」も、ロシア歌曲はじめ様々な歌曲も歌います。彼の「日本歌曲」を聴いた時、私は、「目からうろこ」?また、ある種の衝撃を受けました。音楽の、それも声によって表現される音楽の本質を感じたからです。日本語の美しさ、上品さ、言葉に込められた深い意味、彼の歌にそれを感じました。CDのパンフレットのヴィタリ氏の「アルバムによせて」で、書いています。「日本の歌が素敵だと思った最初は、テノールの
ホセ・カレラスがコンサートのアンコールで歌った「川の流れのように」でした。」と!ちなみに彼はとても美しい日本語を話ます。Kiki
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マクベス [お芝居]

マクベス.jpg三越劇場マクベスを観てきました。主なキャストは、マクベス横内正、マクベス夫人一色采子、バンコー田村亮、マグダフ加藤頼。小田島雄志訳、公演台本・演出も横内正。装置、衣装は、和洋折衷と言うか、何処の国?何時代?と特定出来ない設定で、多分演出の横内さんの狙いだったとも思われます。音楽は、クラシックが主で、バッハあり、モーツアルトあり、オーケストラ曲、バイオリンソナタ等バラエティーに富んでいて工夫の後が見られました。マクベスは、ヴェルディが、オペラに作曲しています。モノローグが多く、個々の役の人物像が、明確なので、オペラに向いていると、ヴェルディが考えてと思います。マクベス:バリトン、マクベス夫人:ドラマティックソプラノ、バンコー:バス、マグダフ:テノール。それぞれに、聞かせ所があり、とても良く出来たオペラです。ヴェルディは、オセロもオペラに作曲しています。オセロをドラマティックテノールに設定したのは、バリトン、バス好きなヴェルディとしては画期的なことです。マクベスとオセロ(オペラではOtello オテロ)に関しては、芝居の人はオペラを、オペラの人は芝居を、観ることが必須ではないでしょうか?故蜷川幸雄氏が演出した「ニナガワマクベス」は、仏壇を設定した装置で、衣装やかつらも歌舞伎を思わせる、全て「日本風」なものでした。これを、オペラにも登用して、日本発の新演出で、日本だけで無く、世界中で「オペラ版ニナガワマクベス」が上演されたら、素晴らしかったのでは?と想像しています。Kiki
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映画「私はマリア・カラス」 [映画]

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映画「私はマリア。カラス」を見ました。
ラッキーなことに、私は1973年、マリア。カラスの日本での最初で最後のコンサートを聞くことができました。この3年後に彼女は心臓発作のため、パリの自宅で亡くなりました。53才でした。残念ながら、オペラでの彼女のステージは見たことがありません。
しかしながら、深紅のイブニングドレスで舞台に登場したカラスの存在感とエレガントな立ち居振る舞いに圧倒されました。そして、固唾を飲んで待っていた、この日の第一声は、今でも私の耳の記憶にインプットされています。彼女の声は、ドラマそのものでした。もちろん、カラスの声なのですが、それぞれのオペラのヒロインの人物像や、感情が、聞き手に迫ってくるのです。
数多くの録音」を残したカラスですが、私の中では、彼女の生の声は圧倒的に支配しています。
彼女のファンであった、フランスの名バリトン、ジェラール・スゼーは、言いました。
「スコアーを見ながらカラスの演奏を聴いてごらん!彼女ほど、楽譜に忠実に演奏している歌い手はいないよ!Piano やForteはもちろん、クレシェンドやデクレシェンドの始まりも終わりも作曲家が意図した通りに歌っている。見習わなければ!」ほんとうにその通りです。
皆様も試してみてください。  Kiki


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はじめまして [ごあいさつ]

初めまして! 
これから、音楽の色々なお話を、このブログでお届けしたいと思います。
クラシック音楽、オペラ、ポピュラー音楽、日本の伝統音楽等、世界には美しく、エレガントな音楽が満ちあふれています。
目には見えない音楽の不思議を、皆様と共有できたら嬉しいです。  kiki

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