- | 次の10件

Obsessed [映画]

bara.jpg2014年公開の韓国映画、[Obsessed]( 悪霊や悪夢に取り付かれること)(日本題名 [情愛中毒]はあまり良い題名とは言えない?)は、韓国人気俳優ソン・スンホン主演と濃厚なラブシーンで、評判になった映画です。

しかし、この映画は、韓国人・韓国社会の様々な出来事、問題点、反省を背景にした、とても深い内容の映画と思います。

この映画の大きなテーマは、韓国・韓国人の「ベトナム戦争」です。


ベトナム戦争の終盤頃、ベトナム帰還軍人である、主人公のキム・ジンピョン少佐は、ベトナムでの勇敢な戦い振りで「英雄」として軍の教育係りの職に付き、上官の娘とも結婚し、順調にエリートの道に進んでいるように見えました。しかし、彼は、ベトナムでの過酷な体験から、精神を病んでいて、精神科のカウンセリングを受けたり、大変なヘビースモーカーでもありました。

ある日、ジンピョンの官舎の隣に、部下の夫婦が住むことになります。部下のウジンもまた、ベトナムの帰還兵で、ジンピョンを「ベトナムでの英雄」として尊敬していました。妻のガフンは、母が中国人、父が韓国人と言う、複雑な家庭の出で、幼いころから、現夫のウジンの家に預けられ、無理やり、彼と結婚させられたと言う事情も抱えています。

軍人の妻たちは、主に、ベトナムで負傷した、傷痍軍人たちが入院する病院で、彼らの看護をするボランティアを定期的に行っていました。ガフンもこのボランティアに初めて参加することになりました。ところが、ガフンの担当した、足を失っていたベトナム帰還兵が、突然、「ベトコンが俺を殺しにやって来る!」と大声で叫び、枕の下に隠し持っていたナイフで、看護していたガフンの首に切りつけます。

この時、引率役のジンピョン少佐が、間一髪、この傷痍軍人からナイフを取り上げ「ここはベトナムではないよ!君はもうソウルに戻ってきているから安心して」と説得し、ガフンを助けます。

これを機に、ジンピョンとガフンの心は超接近して行きます。

ジンピョンには、やはりベトナム帰還兵で、小さなクラブを経営する友人がいます。ジンピョンは彼には様々な相談もし、ありのままの自分をさらけ出す大切な友人でもありました。彼は音楽が好きで、その店にはいつもクラシックの音楽が流れていました。(LPレコード)ある時は、テノール歌手が歌う

ドニゼッティ作曲のオペラ「愛の妙薬」の「人知れぬ涙」でした。彼が言います。「ベトナムにいた時、アメリカの流すラジオのクラシック専門のチャンネルで、これを覚えた。過酷な戦場で、どれだけ、慰められたか知れない!」  また、ある日、店で、友人とジンピョンと二人でテレビで中継された、アメリカの月面着陸の映像を見ていた時、彼は言います。「ヤンキーのやつらは、こんなに凄いことやってのける連中なのに、ベトコンと対した時の、あの無様な姿は、一体何なのだ!同じアメリカ人か?」

ジンピョンとガフンの関係は、ついに、それぞれの家族や、軍の知るところとなり、ジンピョンは離婚し

軍も免職になります。そして彼は再び、まだ戦争がくすぶる、ベトナムへ旅立ちます。一民間人として

タイとベトナム国境付近で、ガイドの仕事に就きます。

数年後、ガフンのもとに、一人のベトナムの帰還兵が訪ねて来ます。「ある人の遺言でこの写真を届けに来ました。タイとの国境で我々韓国軍のガイドをしてくれていた人で、非常に勇敢な人だった。残念なことにベトコンの生き残りに殺されてしまった!所持品を調べていたら、この写真が出て来て、自分にもしものことがあったら、これを彼女に渡して欲しい!と書いてあった」それは、友人のクラブで撮った、ジンピョンとガフンのツーショットでした。


ベトナム戦争を扱ったアメリカ映画は、「ディアハンター」、「地獄の黙示録」、「プラトーン」の3本が有名です。この3本を観ると、アメリカのベトナム戦争への贖罪の心と、戦争で犠牲になった多くのアメリカ人へのオマージュを強く感じます。「映画の国」としてのアメリカ人のひとつの表現かもしれません。見るのに忍耐が要りますが、ベトナム戦争を忘れないための財産とも言える作品です。


そして、一方、この韓国映画「Obsessed]は、アメリカとは違った形で、韓国が関わった「ベトナム戦争」を、扱い、表現しています。立場は違いますが、近い人種の親近感のようなものを、私は、感じました。


ベトナムに送られた韓国兵は、1968年には5万人を超えた記録があります。戦争を始めたアメリカ軍に次ぐ数とも言われています。この事実を知って、韓国の映画やテレビドラマを観ると、日本の映画やドラマとは違った側面が見えて来て、興味深いです。Kiki

nice!(0)  コメント(0) 

眞しほ会 [邦楽・長唄囃子]

7112652[1].jpg眞しほ会は、歌舞伎・長唄 囃子方のお流儀の一つ、「藤舎流(とうしゃりゅう)」の現家元、藤舎呂船氏がプロの囃子方育成のために始めた会で、今年で34回目を迎えます。

歌舞伎の伴奏音楽には、義太夫、清元、常磐津、長唄等ありますが、長唄は、囃子も加わる大編成(フルオーケストラ?)で演奏される大変迫力のある歌舞伎音楽です。


歌舞伎とオペラは、とても似ている事が多いと私は考えます。第1はその誕生時期です。いずれも1600年前後と言われています。歌舞伎は、1603年、出雲(現在この出自は確かではないとされています。)のお国と言う踊り手が京都で「かぶき踊り」を創めたことによるとされています。また、オペラは、1597年フィレンツェで作曲家Periの作品「ダフネ」が上演された時とされています。

そして、いずれも、貴族、武士階級だけでなく、一般民衆の支持を得て発展を遂げてきました。但し、オペラはまず「音楽」ありきの舞台芸術である一方、歌舞伎はどちらかと言うと、演技、役者、舞台装置等が主で、音楽に関しては、オペラほどではありません。


しかし、長唄に関しては、歌舞伎の発達途上で、こちらも、オペラにおけるフルオーケストラのように、

劇を盛り立て、ストーリーをドラマティックに展開していくために、非常に重要な役目をする「音楽」として発展して行きました。長唄には欠かせない(長唄の曲によっては、唄と三味線だけのシンプルな設定のものもあります)お囃子は、元々、能楽から来たもので、編成・楽器も、能楽と同じです。藤舎流も元々、能楽囃子方がルーツとお聞きしたしたことがあります。

先日の第34回眞しほ会(2月28日)では、能楽でも有名な「竹生島」「勧進帳」が、演奏されました。

両曲とも、今日、能楽でも歌舞伎でも、上演される演目です。特に勧進帳は、歌舞伎十八番として

非常に人気が高い演目です。


「勧進帳」は1702年初代市川團十郎が草案し、1840年五代目市川海老蔵(後の七代目市川團十郎)が能の様式を取り入れて、ほぼ今の「勧進帳」で初演とされています。そして、長唄の名曲とされる「音楽」としての勧進帳(作詞 並木五瓶  作曲 四代目杵屋六三郎)は、度々、邦楽の演奏会でも取り上げられます。そして、この「音楽」としての「勧進帳」を聴く時、大げさかもしれませんが、私はは、日本の音楽芸術の奇跡を聴くような気がします。


と言うのは、鎖国していた日本には、1800年代に大輪の花が咲いた、西洋キリスト教音楽は、一切

入って来ませんでした。あくまで、日本独自の文化の中から生まれた音楽です。


7112683[1].jpg歌舞伎が、オペラに近い音楽劇(ミュージカルとは違う)と、強烈に感じたのは、2007年の十二代市川團十郎と現海老蔵一座による、パリオペラ座での歌舞伎公演です。この歴史的な公演を観劇することができたのは、私の宝になっています。そして、その時の「勧進帳」と「紅葉狩」のいずれもで、

歌舞伎音楽の真髄を堪能しました。オペラ座の隅々まで、届く、唄、三味線、囃子のアンサンブルは舞台上の演劇がより一層ドラマティックなものとなりました。あの音は、オペラ・音楽の殿堂、パリオペラ座ならでは?と深く感じました。


「ナポリを見て死ね!」(多分イタリアの?)と言う、言い伝えがありますが、「勧進帳を見て死ね!」とあえて、申し上げましょう!Kiki


nice!(0)  コメント(0) 

ロメオとジュリエット [オペラ]

Romeo_et_Juliette_TokyoOpera.jpgシエクスピア原作の「ロメオとジュリエット」は、オリジナルの「芝居」の他に、「オペラ」「バレー」「音楽組曲」そして近年「ミュージカル」と、様々な分野で取り上げられています。


言葉の問題がある「芝居」(ストレートプレイ)と異なり、プロコフィエフ作曲のバレー「ロミオとジュリエット」は、音楽と踊りだけで見ている者を「ロメオとジュリエット」の世界に誘ってくれます。それは、この物語が世界一有名な、だれでも知っているラブストーリーであることも大きいでしょう。


幸運なことに、このバレーの伝説と言われる、ルドルフ・ヌレエフとマーゴット・フォンティーンの舞台を見たことがあります。フォンティーンはバレリーナのピークはすでに過ぎた、多分40歳後半(?)だったのではないかと思いますが、15歳か?の初々しいジュリエットにしか見えませんでした。バレーが、踊るテクニックだけでなく、音楽を感じ、その役に成りきり、場面場面で、ジュリエットの感じた事々が、観客の目と心に美しく感動的な印象を与えるものだと深く感じました。そしてフレエフは、登場した時から、美しい、ただひたすらジュリエットを愛する、「ロメオ」でした。


このバレーが優れているのは音楽です。冒頭の、キャプレット家とモンタギュー家の対立する若者たちの群舞の音楽は素晴らしいです。レナード・バーンスタイン作曲のミュージカル「ウエストサイド物語」幕開けの群舞は、このバレーに倣ったものでしょう。両方を、映像だけでなく、舞台で見ることも興味深いです。


そして、大好きな「ロメオとジュリエット」は、グノー作曲のオペラです。

フランス語のオペラであることと、ロメオ(テノール)とジュリエット(やや軽いソプラノ)、主役二人が

音楽的にも声楽的にも非常に難しいことで、日本で上演(海外の引越し公演も含め)されることが

あまりありません。

本日、東京オペラプロデュース製作のオペラ「ロメオとジュリエット」見ました。もちろんすべて日本人キャストです。主役の「ロメオとジュリエット」は私の観たなかのベストでした。声も姿も演技もこのオペラにピッタリで、日本人でこれだけできるのだ!と感心し感激しました。芝居の「ロメオとジュリエット」は20歳台(あるいは10歳代?)の初々しい俳優たちが演じることが可能ですが、オペラの場合、声も音楽も優れた早熟な才能のある歌手が出現しない限りそれは無理です。ある程度、声自身もテクニックも身に付き、それでいて、姿・演技が、(お腹の出っ張ったテノールのロメオはありえません。いくら声が出たとしても)ロメオらしく初々しくなければならないのです!

それは、ジュリエットにも言えます。25年くらい前、やはり日本人キャストのロメオとジュリエットのオペラを観た時、、コーラスが「可愛い、美しいジュリエット!」と讃えてジュリエットが登場する場面で、私は、ジュリエットのお祖母さんが登場したのか?と思いました。

そのようなわけで、オペラ「ロメオとジュリエット」はなかなか上演が難しいのかもしれません。

でも、今日は、ロメオ: 城 宏憲  ジュリエット:梅津 藍  のコンビとても初々しく素敵でした。

昨年のニューヨーク メトロポリタンオペラの、 ロメオ:Vittorio・Grigolo   ジュリエット:Diana

Damrau  この二人の塾年カップルより、ズッと、グノーの音楽が求める、清純な純粋な若いラブストーリーに声も姿も演技もフィットしていました。  Kiki  


nice!(0)  コメント(0) 

ゴットフリート・ワグナー [オペラ]

tristan3.jpg ワグナーのオペラだけを、上演する、「バイロイト音楽祭」を、ご存知の方も多いと思います。 1876年リヒャルト・ワグナーが提唱して幕開けしました。
毎年、7月~8月に現在も続く世界中の音楽祭の中で最も切符が手に入り難い音楽祭と言われています。 この音楽祭は、驚くことに、今なお、ワグナー家一族で運営されています。(現在は、財団機構になり、以外の人も携わっていますが、依然としてワグナー家がイニシアティブを取っていることは確かです。)
ゴットフリート・ワグナーは、1947年生まれで、リヒャルトワグナーのひ孫にあたります。
ワグナーの息子・ジーグフリードとその妻ウィニフレッドは、R.ワグナー崇拝者で様々な政治活動にも利用したナチス・ヒトラーの庇護のもと、第2次世界大戦中も、「バイロイト音楽祭」は継続出来ていました。
戦後、のドイツの戦争裁判(ニュールンベルク裁判が代表的)で、数少ない女性の被告人として、R.ワグナーの息子の嫁にあたる、「ウィニフレッド」の裁判の映像を見たことがあります。彼女は「私が何の罪を犯したと言うの!第1にR.ワグナーの芸術を守るため、第2に、ドイツ国民のために、ヒトラーの庇護を受けただけ! アドルフ(ヒトラーのファーストネーム)は、とてもチャーミングな男で、私は今も彼のことが好きです!」 ユダヤ人大量虐殺の張本人であり、第2次世界大戦の元凶のヒトラーをこの世界的な裁判で擁護し、「好き」 と言えるウィニフレッドの異常とも言える大胆不敵な言動をあっけにとられ、見ていました。これは、中国の文化大革命の粛清裁判での「江青」にも似ています。
戦後は、それまで「音楽祭」を仕切っていた、このジーグフリードとウィニフレッドに代わり、彼らの二人の息子、ヴィーラントとヴォルフガング(ゴットフリートの父)たちが、「音楽祭」を主催し、1年交代で演出も手がけることになります。
彼らは、経費節減という経済的な理由で、舞台装置も殆ど無い、簡素な舞台を作り上げ、演出上で「バイロイト方式」と呼ばれる、一種前衛的な舞台で一斉を風靡しました。
ゴットフリートは、「ワグナー」と言う自身のルーツ、また、ヒトラーと公私ともに非常に親しかった自身の祖父母の存在、ユダヤ人大量虐殺はじめヒトラーの所業の数々を9歳(1955年~56年頃)の時に知ることになります。この前、1951年に、「バイロイト音楽祭」 は戦後初めて再開を果たします。それは、センセイショナルな出来事で、世界中のニュースになり、世界の根強いワグネリアン(ワグナー崇拝者)を熱狂させました。
成人した、ゴットフリートは父も伯父も、そして、多くのワグナー崇拝者たちが、「バイロイト音楽祭」「ヒトラー」 「ワグナー家」が犯した数々の罪の贖罪もせず、「ワグナーの芸術」の名のもとに、営々と音楽祭を続けていることに、大いに欺瞞を感じました。
「バイロイト音楽祭」では現在もなお、ワグナーの音楽しか、上演されません。 ゴットフリートがまず手がけたのは、旧チェコスロバキアにあった「テレジン(テレージエンシュタット)収容所」の音楽家達(プロの作曲家や演奏家)の発掘と、作品の発表でした。この収容所には多くの優れた音楽家たちが収容され、彼らが、収容所の中で演奏したと思われる記録や、楽譜が残されていたと言います。しかし彼らのほとんどは、ガス室で殺されてしまっています。
ゴットフリートはまた、ホロコースト加害者側のドイツ人、被害者側のユダヤ人たちで、第二次世界大戦後(自身も)に生まれた世代の人々が自己のアイデンティティーを「どのように考えるか?」をテーマに世界中でワークショップを開く活動もしています。加えて、自分の(ワグナー家の)両親・親族が、自己アイデンティティーを全く検証しない態度を厳しく批判しています。
ワグナーの音楽(オペラ・劇楽?)は、指輪3部作、パジルファル、トリスタンとイゾルデ等、どれを取っても素晴らしいものです。音楽に携わる一人として、彼のオペラをある程度理解して聴くことが出来たことは人生の宝かもしれません。特にトリスタンとイゾルデは合計4時間を越す時間、彼らの愛と官能を「これでもか!これでもか!」と超大なオーケストラと声で包まれるエクスタシーにも似た経験は何ものにも代えがたいです。 パルジファルも長い長いオペラですが、プラチド・ドミンゴがパルジファルを演じたウィーン国立歌劇場の公演が忘れられません。ホルストシュタインの指揮でした。ドミンゴのおかげで、全く退屈しませんでした。
でも、血沸き、肉踊るのは、何と言っても「イタリアオペラ」です。Verdi も Pucciniも 体の芯から、声の音楽の興奮を導き出してくれます。  
ゴットフリート・ワグナーを知ることになったのは、彼の著作のほとんどを翻訳している、ドイツ文学者の岩淵 達治氏の夫人の摩耶子さん(友人)(故人)通じてでした。岩淵先生は、ドイツ文学の中でも、戯曲や演劇の専門家でブレヒトやフルトワイルの研究で知られています。ゴットフリートも、彼自身の大学院の卒業論文で「ブレヒトとクルトワイル」を取り上げています。この二人は、ヒトラーの時代、迫害を受けた作家たちでした。 でも、摩耶子夫人は、「本当は、イタリアオペラが大好き」と生前おっしゃってました。  Kiki

nice!(0)  コメント(0) 

テノールのスリル [オペラ]

Scara.jpgテノールが大好きです。
オペラの世界では、その声種によってある程度役柄が決められています。
オペラは総合芸術ですが、「音楽」が占める部分が大きく、ヴィジュアルな部分が無くても、登場人物のキャラクターが分かるように設定されています。但し、このように声種が限定され初めたのは、ベルカントオペラが確立した頃(18世紀末から19世紀初めにかけて)と言えましょう。女声はソプラノ、メゾソプラノ、アルト。  男声はテノール、バリトン、バス、が代表的です。声種によって、それぞれの役柄や、時には身分なども設定されます。ベルカントオペラ以前のバロック時代等は「カストラート」(少年時に去勢して声をボーイソプラノのまま残した男声歌手)と呼ばれる特殊な声種の持ち主がオペラの主役を務めたりしていました。この伝統は、現在「カウンターテノール」(すべて裏声ファルセットで歌唱する男声歌手)に受け継がれています。もちろん、彼らは、「去勢」などしていません。
パヴァロッティ・ドミンゴ・カレラスの3人のテノールが、1990年イタリアで行われた「ワールドカップサッカー大会」の開幕記念コンサートが、ローマの古代遺跡「カラカラ浴場遺跡」で行われました。この時から、限られたオペラファンだけでなく、世界中に、オペラ歌手、特にテノールの声と歌が、多くの人々を感動させるものだと認識されたのでは?と思います。テノールは、ドラマティックでスリリングでセクシーでもあります。
テノールの声種を大いに発展させたのは、ヴェルディと言われています。
もちろん、モーツアルトやロッシーニもテノールに重要な役を与えていますが、アンサンブル要員の要素も
あるように思います。ヴェルディや、彼に続くプッチーニは、メインキャストあるいはヒーローとして、テノールを起用していますし、現在でもこのイタリアオペラ2大巨匠のオペラにおけるテノールは、音楽もテクニックも
限界を越えることが要求され、すべてのテノールは挑戦し続けています。(ドイツオペラ、特にワブナーにおけるテノールの役は、イタリアオペラとはまた異なった位置付けと思います。ワグナーは常に、オーケストレーションの中での声の役割を要求しています。長時間の楽劇のテノールはスタミナとの勝負とも言えます)
各自の持ち声で、ある程度歌唱可能なバリトンや、バスと異なり、テノールは(誤解を招くかもしれませんが?)不自然な、あるいは超絶技巧とも言えるテクニックを身に付けなければなりません。高音を出す技術はフィギュアスケート男子の4回転ジャンプに匹敵する技術です。それを、コンスタントに歌唱する技術は様々な条件がそろっていないと不可能です。それは、持って生まれた声の素質、アスリートとに近い肉体、特に筋肉の精度(強さとしなやかさ)、精神力(失敗を恐れない勇気)、芸術的な欲求(音楽性),弛まぬ努力と根気強さ、明晰は頭脳(優れた記憶力)等です。
かつては、「テノール馬鹿」(大きくて、高い声を出す人間は頭が空っぽに違いない?と名付けられた?)と呼ばれた時代がありました。どっこいどうして、パヴァロッティもドミンゴも大変優れた頭脳の持ち主です。伝説ですが、パヴァロッティなどは、最初は楽譜が良く読めなかった?と言われてきました。しかし、彼は一度聞いた音楽は、すぐ覚えられてしまうのです。オペラはじめ、音楽家にとって、最終的には、暗記(暗譜)が求められます。もちろん、楽譜読解は必須ですが、楽譜から作曲者の精神、情熱、を感じ取り、加えてそれを芸術の高みまで行き着く魂は、演奏者に求められます。特に、声楽は、生身の人間の声を駆使してそれに近付こうとしています。そしてテノールは、予測をはるか超えた宇宙に連れて行ってくれるのです。
素晴らしくスリリングではありませんか?
今、お気に入りは、イタリアのテノール、Vittorio Grigoloです。

Vittorio1.jpg1977年生まれで今年42歳になりました。2015年に東京オペラシティーでピアノ伴奏によるリサイタルをしました。その前から、映像等で彼のことは
知っていました。しかし、生の彼の声は格別でした。録音では把握できない、声のヴォリューム、音色、息使い、全てが素敵で、心震えました。その後、ミラノスカラ座で、「ランメルモールのルチア」エドガルド、「ボエーム」ロドルフォ、「リゴレット」マントバ公爵を聞きました。スカラ座の伝統的なアコースティックな空間で、ヴィットリオの声は、隅々まで行き渡り、同じ時空に居られる幸せを感じました。この頃までのヴィットリオは、少々荒削りで、未だ少年っぽさが残る声でした。しかし、昨年12月3年ぶりで東京で今回はオーケストラ伴奏のリサイタルをしました。「どのような声になったか?」と期待と不安(テノールはある日突然墜落することがあります)で聞きに行きました。2015年~2018年までヴィットリオは、世界中のメインオペラハウスで歌い続けて
いました。レパートリーもどんどん広げています。12月のリサイタルの彼の声は、少年っぽさは影を潜めて
成熟した男の声になっていました。世界のフィールドで第一線で演奏することは、このように「洗練」されるものなのだ!と感心して帰途につきました。でも、以前聞いた、彼のある種スリリングな、少年っぽい声に懐かしさも感じたのも事実です。但し、Vittorio Grigolo は今が「旬」であることは確かです。Kiki

nice!(0)  コメント(1) 

日本歌曲 [音楽]

ajisai.jpg主に、クラシックの歌い手によって歌われる分野で「日本歌曲」と言うのが、あります。ドイツ歌曲(シューベルトやシューマン)、フランス歌曲(フォーレやドビュッシー)、イタリア歌曲(トスティやレスピーギ)、ロシア歌曲(チャイコフスキーやラフマニノフ)、これらの外来の芸術歌曲(アートソングス)に倣って名付けられたと思います。作曲家としては、瀧廉太郎、山田耕作、平井康三郎、中田喜直、團伊玖磨等が挙げられます。作り手も歌い手も「歌謡曲」や「演歌」「J-ポップ」とは、一線を隔しているようです。確かに、「日本歌曲」として演奏される場合、言葉(詩?)の重要性、音域の多様性など外国の歌曲を手本に作曲されたものが多いと感じます。しかしながら、「歌謡曲」であれ「日本歌曲」であれ、人々がそれを聞いた時に心に響き、残る印象に大きな違いがあるのかしら?と思います。
ヴィタリ・ユシュマノフ氏と言うロシア出身(サンクトペテルブルク生まれ)のバリトン歌手が、2013年から、日本で活動しています。日本歌曲7曲を含む彼のリサイタル、「CD「ありがとう」を風にのせて」を聞きました。彼はもちろん「オペラ」も、ロシア歌曲はじめ様々な歌曲も歌います。彼の「日本歌曲」を聴いた時、私は、「目からうろこ」?また、ある種の衝撃を受けました。音楽の、それも声によって表現される音楽の本質を感じたからです。日本語の美しさ、上品さ、言葉に込められた深い意味、彼の歌にそれを感じました。CDのパンフレットのヴィタリ氏の「アルバムによせて」で、書いています。「日本の歌が素敵だと思った最初は、テノールの
ホセ・カレラスがコンサートのアンコールで歌った「川の流れのように」でした。」と!ちなみに彼はとても美しい日本語を話ます。Kiki
nice!(0)  コメント(3) 

マクベス [お芝居]

マクベス.jpg三越劇場マクベスを観てきました。主なキャストは、マクベス横内正、マクベス夫人一色采子、バンコー田村亮、マグダフ加藤頼。小田島雄志訳、公演台本・演出も横内正。装置、衣装は、和洋折衷と言うか、何処の国?何時代?と特定出来ない設定で、多分演出の横内さんの狙いだったとも思われます。音楽は、クラシックが主で、バッハあり、モーツアルトあり、オーケストラ曲、バイオリンソナタ等バラエティーに富んでいて工夫の後が見られました。マクベスは、ヴェルディが、オペラに作曲しています。モノローグが多く、個々の役の人物像が、明確なので、オペラに向いていると、ヴェルディが考えてと思います。マクベス:バリトン、マクベス夫人:ドラマティックソプラノ、バンコー:バス、マグダフ:テノール。それぞれに、聞かせ所があり、とても良く出来たオペラです。ヴェルディは、オセロもオペラに作曲しています。オセロをドラマティックテノールに設定したのは、バリトン、バス好きなヴェルディとしては画期的なことです。マクベスとオセロ(オペラではOtello オテロ)に関しては、芝居の人はオペラを、オペラの人は芝居を、観ることが必須ではないでしょうか?故蜷川幸雄氏が演出した「ニナガワマクベス」は、仏壇を設定した装置で、衣装やかつらも歌舞伎を思わせる、全て「日本風」なものでした。これを、オペラにも登用して、日本発の新演出で、日本だけで無く、世界中で「オペラ版ニナガワマクベス」が上演されたら、素晴らしかったのでは?と想像しています。Kiki
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:演劇

映画「私はマリア・カラス」 [映画]

1015384_01.jpg
映画「私はマリア。カラス」を見ました。
ラッキーなことに、私は1973年、マリア。カラスの日本での最初で最後のコンサートを聞くことができました。この3年後に彼女は心臓発作のため、パリの自宅で亡くなりました。53才でした。残念ながら、オペラでの彼女のステージは見たことがありません。
しかしながら、深紅のイブニングドレスで舞台に登場したカラスの存在感とエレガントな立ち居振る舞いに圧倒されました。そして、固唾を飲んで待っていた、この日の第一声は、今でも私の耳の記憶にインプットされています。彼女の声は、ドラマそのものでした。もちろん、カラスの声なのですが、それぞれのオペラのヒロインの人物像や、感情が、聞き手に迫ってくるのです。
数多くの録音」を残したカラスですが、私の中では、彼女の生の声は圧倒的に支配しています。
彼女のファンであった、フランスの名バリトン、ジェラール・スゼーは、言いました。
「スコアーを見ながらカラスの演奏を聴いてごらん!彼女ほど、楽譜に忠実に演奏している歌い手はいないよ!Piano やForteはもちろん、クレシェンドやデクレシェンドの始まりも終わりも作曲家が意図した通りに歌っている。見習わなければ!」ほんとうにその通りです。
皆様も試してみてください。  Kiki


nice!(0)  コメント(2) 
共通テーマ:音楽

はじめまして [ごあいさつ]

初めまして! 
これから、音楽の色々なお話を、このブログでお届けしたいと思います。
クラシック音楽、オペラ、ポピュラー音楽、日本の伝統音楽等、世界には美しく、エレガントな音楽が満ちあふれています。
目には見えない音楽の不思議を、皆様と共有できたら嬉しいです。  kiki

nice!(0)  コメント(1) 
共通テーマ:音楽
- | 次の10件

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。